この記事は「子宮頸がんの治療するため日本最高峰の病院へ。婚約者の言葉に涙」の続きです。
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明るいがん専門病院
数日後、総合病院の医師からの紹介状を手にがん専門病院へ。まさか自分ががんになるなんて思った事もなく、身内にも闘病者がいなかったので「がん専門病院」は未知の場所。
病院といえば総合病院くらいしか経験がなかったので、まったく病院といった雰囲気のない、ホテルのような吹き抜けのロビーに驚きました。また、ここにいる人の殆どががん患者であることにも。楽しそうに談笑している身なりの綺麗なご婦人方も、持っている呼び出しPHSで受診者だという事が分かります。スーツのシュっとした若いサラリーマンの手にも同じPHS……もちろん、私の手にも。
名医との出会い
さすがに婦人科分野で有名なだけあって、婦人科の待合はとても混んでいました。午前中の予約でしたが、呼ばれたのは午後になってから。
紹介状の封に名前が書いてあったので、病院へ来る前に調べていたのですが、私の担当になる先生はある分野の手術で日本一といわれる名医だと知り、自分の運の良さを(普段は信じていない)神様に感謝しました。そんな名医といよいよ対面の時です。
名医というからには、きっと威張り腐ったおじさんに違いない、そう思っていたのですが、診察室にいたのは、笑顔が素敵な40前後に見える男性医師。ちょっと方言まじりのアクセントが緊張を和らげてくれます。
既にこの病院へ来て受けた血液検査の結果と、総合病院からの資料は医師のPCにデータが入っていたようで、お互いに軽い自己紹介をした後は早速本題に入りました。
「医師の見立ては総合病院の主治医とだいたい同じ物である」が、この病院の決まりでここでも検査を受ける必要があり、更にここではPET-CTを使って転移の有無を判断してから病期の決定を行うという事でした。
一通りの説明を聞いた後に医師の内診、細胞診、組織診断、直腸診察、更にかなり痛いと評判の子宮体がんの検査もありましたが、まったく痛みがなく、子宮体がんの検査に至ってはした事すら後に知ったくらいです。
この日のうちのCT、MRI、PET-CTの予約をし、2週間以内で全ての結果が出揃う段取りになりました。総合病院からのデータと、内診をした限りでは「2a期」な感じがすると言われ、総合病院での告知後初めて笑顔になりました。まだ確定ではありませんでしたが、十分に根治の可能性がある、「手術が出来る」という事を聞きとても安堵ました。総合病院では手術の可能性は否定されていましたので……。
しかも、執刀してくれるのはこの分野の名医といわれる医師。初めて希望が見えた瞬間でした。その日のうちに手術日の仮押えまでしたいと、とても前向きな気分で病院を後にしました。
私が選んだ治療法―化学放射線同時併用療法(CCRT)
2週間後、すべてのデータが出揃いいよいよ術前病期の最終決定が下されます。結果は残念ながら当初の見込みよりも悪く「2a期に近い2b期」で、PET-CTの結果で閉鎖リンパ節への転移があることもわかりました。
医師から提示された治療方法は2つ
・手術
・抗がん剤と放射線治療を同時に行う「化学放射線療法(CCRT)」
ネットで集めた情報から、「放射線」を使わない「手術+抗がん剤」か「術前抗がん剤+手術+地固め抗がん剤」を希望していたのですが、医師から言われたのは「これらの治療をしても手術後にCCRTを行わなければいけない可能性が高い。リンパ節や基靭帯に浸潤してる以上、CCRTは避けられない」という事でした。さらには手術後、遺症が強く残り、QOLがかなり下がる可能性がある事、などの説明を医師がしてくれました。
結論としては、「年齢を考えると個人的にはCCRTを勧める」と言われました。更に、私のがんは放射線の感受性が非常によいとされる「扁平上皮癌」だったので、「手術」と「CCRT」の治療成績はどちらも変わらないという事でした。
主治医の表情から「再発して5年以内に死んでしまう可能性」より「将来長く生きる可能性」の方が大きいと読み取れました。今まで経験した中から私の症例が「根治の可能性が高い」と判断されたのかは分かりませんが、その時はそんな風に思って希望を持ちました。
その場では結論を出せなかった私に「昼飯でも食べながらゆっくり考えて、それから答えを出してくれればいいよ」と言って時間をくれました。そして、母や婚約者とメールしながら数時間考えた結果、主治医の勧めに従い「化学放射線同時併用療法(CCRT)」を受けることに決めたのです。
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