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子宮頸がんの治療の結果、腫瘍は消失

 

この記事は「[子宮頸がん] 次へと襲い来る放射線治療と抗がん剤の副作用」の続きです。

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年越しは1人きりの病室で

 土日を除く毎日のリニアック(放射線治療)、週1回の抗がん剤投与を順調にこなし、年末を迎えようとしていました。この時期なると同室だった抗がん剤治療での入院の方は退院し、先に同じ治療を受けていた隣のベッドの60代の女性も治療を終えて退院していきました。そして病室に残ったのは私1人だけに。

 子宮頸がんの治療も後半に入り、週に1回、腔内照射するRALS(高線量率小線源)が始まりました。放射線治療の中で唯一「痛さのあまりトラウマになる」という程過酷だと言われていたRALSでしたが、眠る薬を使ってもらったら殆ど痛みを感じる事なく終える事ができました。

 眠る薬と言っても麻酔ではないので、途中覚醒する事もありましたが……。というか、飲酒習慣があったために薬の効きが悪く、終始「眠りに落ちる寸前」のような状態で起きていました。それでもあまり痛みを感じなかったのは、元々内診でも痛みを感じない体質だったお陰もあるのかもしれません。

私が受けた治療では体外からの放射線照射(リニアック)のほかに、高線量率小線源(RALS)を膣内に挿入し、腫瘍に直接針を刺して放射線を当てる腔内照射がありました。リニアックを32回、RALSを4回で、RALSは治療の終盤、週1回組み込まれました。

前回の記事の抜粋

 1人だけになってしまった病室はがらんとしていて、私が立てる物音がとてもよく響きます。フロア全体の入院患者も減ったらしく、賑やかだった夕食タイムの話し声は聞こえてこなくなり、変わりにたまに苦しそうな声が聞こえて来ました。

 年末に残っている患者は病症の重い方、私と同じ「化学放射線同時併用療法(CCRT)」を受けている方や緊急入院の方くらいしかいないという事でした。

 テレビは年越しムードで盛り上がっていましたが、私は変わらずジャンクフードを食べながら、ひたすら尿の計量表やカレンダーを眺める日々。夜になると静まり返った病室で色々な想像が働き、寝れない事も多く、面会に来てくれた婚約者や母親が帰る時には「寂しさ」を強く感じるようになりました。

 そして年が変わる瞬間も寝れずに過ごした私は、数年ぶりに初日の出をみました。病室は側面が一部全て窓になっていて、ちょうど東側だったので見事な日の出が見れました。地平線からオレンジに燃え盛るような太陽が現れた時、その美しさと、いろいろな感情があふれだして涙が出てきました。それと同時に強く「生きる」という気持ちが胸に強くわいた事を、今でも鮮明に覚えています。

年明け後に最後のRALS

 1月1日の朝食は綺麗に飾られたおせち料理が出て、看護婦さんや、看護助士さん、病棟の先生達皆と「あけましておめでとございます」の挨拶をし、入院中ではありましたがお正月気分を味わいました。

 その日の午後から1泊で家に帰る「外泊」へ。家では例年だったら見ずに寝ていた紅白や正月特番を婚約者と一緒に見ました。それらを見る事で「日常」に戻ってこれた気がして。

 病院に戻ると、外泊から戻って来た方や、新たに入院する方でナースステーションの受付が混んでいました。病院にも「日常」が戻ってきたのです。

 三が日が終わると病院も本格的に「営業開始」。新年1発目の抗がん剤、その翌々日には最後のRALSを終えました。幸運にも最後まで白血球などに問題がなく、計画通りに治療を進める事が出来きました。最後のRALSを終えると後はリニアックだけだったので退院も可能だったのですが、通院に片道2時間以上かかってしまうので入院で治療する事に決めていました。

いよいよ退院

 婚約者は出張中だったので母が迎えに来てくれました。約2ヶ月過ごしたベッド周りにはお見舞いでもらったもの、病院のコンビニで買った雑誌なども増え、大きなショッピングカートに山盛りになる程の荷物が……。

 荷物を車に積み終え、病室に戻ると担当看護師さんがベッド周りの確認をするために待っていました。「寂しいけど、もう戻ってきちゃダメだからね」と握手をされた時には、泣くのを我慢する事が出来ませんでした。泣きながら握手をして感謝の事ばを述べると、既に次の入院患者さんが来ているのが見えたので、慌ててその場を後にしました。

経過観察へ

 退院から2週間後。治療効果判定のMRIがありました。これは「最初の」効果判定ですが、その後「放射線の効果が一番でるとされる3ヶ月後」に「最終判断のPET-CT」があります。

 MRI結果は「子宮頸がんの腫瘍は画像上消失、リンパ節も縮小」でした。画像上ではまったく見えない程に私のがんは縮小していたのです。この結果を聞いた時は思わず先生の手を握り、何度もお礼を繰り返してしまうくらい嬉しく、帰りの道のりは全ての風景の色が明るくなり、生きているすばらしさを実感しました。

 それから3ヶ月後のPET-CTでも「画像上がんは見当たらない」という結果で、晴れて経過観察の身となったのです。

続きは「癌の長期入院で出費が多くなったのは入院費よりも雑費」

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