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子宮頸がんサバイバーの私が闘病の果てに掴んだ心の自由

 

私は五十歳になる子宮頸がんサバイバーです。治療(の副作用)による日々のもやもやと自身を追い込むような説明のつかない体調不良に苛まれつつも、なぜかアラフィフの現在、心はとても晴れやかな私です。

逆説的な表現になりますが、病気を乗り越えて心が自由になった想いすらあります。

がんであることを公表してからの私は、特にお若い世代の方から「がんを抱えて生きている不安はないのか?」とこの頃よくご質問を受けることが多くなりました。

そこで、本日は今の私の皆さんに対するお願いや注意点も含めて、がんサバイバーのひとりとしてお話を差し上げられればと思います。

※子宮頸がんの方の闘病の詳細については、書籍及びWeb上に優れた資料及び闘病記がたくさん存在します。病気そのものの解説はそちらに譲るとし、ここではあくまでも一がんサバイバーの私が、がんと診断されてから手術や化学治療をを経、数回の気分の激しい落ち込みを味わったのちに、ようやく達した「現在の心境」をメインにお話させていただきたいと思います。

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がんを疑い始めたきっかけ、そして確定診断に至るまで

四十歳を過ぎた頃から(特に性交後の)不正出血がみられるようになりました。実母や実姉二人も子宮がんの履往歴がある私は、自身の身体の異常からがんを含む重篤な病気を疑い始めました。

都内のある大学病院で検査を受けた結果、私は四十二歳で「子宮頸がんの疑い」と診断されました。確定診断を兼ねて受けた子宮の円錐切除術、その後の生検の結果もやはり「がん」でした。

当初は自分の上に降ってきた突然の知らせが何も信じられなくて、私は相当のドクターショッピングに「誤診」という儚い希望を託していました。しかし、状況はどんどん悪いほうに流れていきました。

がんの治療を受けるなかで私が真につらかった予想外のエトセトラ

円錐切除術直後から本格的にがんの治療を開始しました。

化学治療(いわゆる抗がん剤投与)と併用して受けたホルモン治療によって、しかし私は「本当に」病人になってしまいました。まるで一気に更年期障害が起こったように、私は常に熱っぽく怠く、シャワーでも浴びたのかと思うほどの激しい発汗がみられました。余りに多量の汗をかくので、会社に行く際にも着替えが必要になってしまい、出勤の折にはブラウスからスカートから下着に至るまで、一式フルに持参せねばなりません。

体温調節がうまくいかなくなってしまった私は、いつものぼせたような感じで、暑くてたまらないので真冬でも半袖の服で過ごしていました。この「暑くて仕方ない」という症状は、はじめから覚悟していた抗がん剤による脱毛なんかより私としてはずっとつらくて我慢なりませんでした。

抗がん剤の副作用の脱毛についても、単に「髪の毛や体毛が抜ける」症状そのものよりつらいことがありました。仕事柄一日中ウィッグを被っていなければならない私でしたが、かつらで締め付けるような頭の違和感があって、常時頭痛で悩まされるという事実は本当に想定外でした。

また、抗がん剤の副作用で鼻毛まで抜けてしまいました。そのため、くしゃみが止まらなくなって些細なことで喘息を起こす…という予想外のトラブルのほうが、がんの症状そのものよりずっと私の生活の質を下げるという事実にようやく気付いたのもこの頃です。

喘息の症状がキャパシティを超えて救急搬送、そのまま入院に至ったこともありました。

がん治療のストレスから発生する合併症でさらに苦しみ続ける

がんの治療はまた、私の心身に強いストレスをかけ続けました。子宮頸がんの診断を受けたのとほぼ同時期、私は重篤な自己免疫疾患のひとつである全身性エリテマトーデスの診断を受けました。

エリテマトーデスの治療に用いるステロイド剤の副作用で、私は一気に骨がボロボロになり、それまで虫歯が一本もないことが自慢だったにもかかわらず、いつの間にか歯医者の常連客になっていました。

四十五歳の時にはホルモン治療に使っていた薬によって血栓症をきたし、そのまま脳梗塞を発症して入院しました。脳梗塞による入院中、ベッドから車椅子に移乗する際に、左半身が麻痺していた私は誤って転倒してしまいました。その時にステロイドの副作用で脆くなっていた腰の骨をまさかの圧迫骨折、私は脳神経外科病棟から整形外科病棟に移されるという笑えない出来事も起こりました。

がんの診断を受けた当時、私はあるIT関連会社に勤務していました。しかし、治療のために有休を使い果たし、さらに病休で対応するも限界がありました。結局、治療に専念するという理由で職を失った私は、経済的にも困窮し、お金に対する不安が病気で落ち込む心をさらに不安定にさせました。

うつ病(のような状態)にまで陥った私は、身体の治療に併せて、精神科のお世話にもならざるを得なくなりました。

頸がん独特の発病メカニズムのネガティブさと性の記憶の呪いに苦しむ

子宮頸がんはHPVウイルスによって感染するいわばSTD(性感染症)の一種であることも、私の闘病への決意を時に非常にネガティブにさせました。

特にネット上では様々な情報が交錯しがちですが、皆さんに誤解していただきたくないのは、子宮頸がん患者=いわゆる「ビッチ」では決してないという点です。どんな女性であろうと、一度でもセックスの経験があれば、子宮頸がんの可能性はゼロとはいいきれないのです。

だからこそ子宮頸がんは怖い病気だともいえるのですが、子宮頸がんを防ぐために私は一患者として、皆さんにはセーフティセックスに留意し、定期的に検診を受け、体調が悪い時は躊躇わず婦人科を受診する習慣をつけていただきたいと願っています。

また、なんの病気に対しても無知が一番怖いと思います。大人の責任として、どうか未来ある子どもたちには(子宮頸がんワクチン接種よりも)正しい性教育をきちんと提供していただきたいとも思います。

しかし、今だからこそ言えるのですが…。家庭や夫婦関係に(特に経済的な)困難があった私は、三度の食事にも事欠いて、三十代の一時期、やむを得ずセックスワークに従事していました。詳細は割愛しますが、当時はいやいやながらも「裸のお仕事」をしなければ元夫ともどもごはんすら食べられないような状況でした。

複雑な家庭に生まれた私には助けてくれる家族や親族すらもありませんでした。意を決して福祉事務所にも再三足を運ぶも「能力不活用」と生活保護の申請すら認められませんでした。

それでもただ飢えて死ぬのを待つわけにはいきません。結果、特別に手に職をつけてもいない私は、セーフティーネットとしてのセックスワークに身を投じるしか術がありませんでした。当時の私には他の選択肢もなく、生きるためにやむを得ない決定だったのですが…。

その後、がんを経験して精神的に疲弊しきっていた私は、自分が「人生に対する罰としての」HPV感染、そして子宮頸がんを罹患したことを心底恥じ、病気を自身にとってのスティグマだとしか思えなくなりました。

だからこそ「何であの時飢え死にしてしまわなかったんだろう」「(元)夫を殺して私も自殺すればよかった…」ということばかりを一日中考えては泣いて過ごしていました。

気分の落ち込みの余り、私は少女期に受けた性的虐待の記憶や、一度二度ではないレイプ被害の恐怖がフラッシュバックしてはさらに苦しみました。

人間は霞を食べては生きていけず、福祉が救済してくれなければ身体を売り、セックスのサービスを提供するしか生命を繋ぐ途はなかったにせよ、子宮頸がんという病気はまるで自分の人生に与えられた罰みたいにしか受け止められない私だったのです。

※生活に困窮した場合、福祉による支援が必ずしも細部まで行き届かないわが国においては、特に女性にとってセックスワークも有効なセーフティネットの一つであることは残念ながら事実です。

しかしながら、生活保護法第24条及び行政手続法第7条にも明記されている通り、福祉事務所には全ての生活保護申請を受理する義務並び責任(決定とは別物)があります。例え水際作戦で追い返されたとしても皆さんには今一度申請に出向くだけの勇気を常に持っておいていただきたいと、自身の経験を通じて私は病床から強く訴えたい想いです。

夫との離婚、自己破産を経てがんを抱えつつ人生の原点に戻る

どうしようもなく荒んだ生活のなか、何かと理由をつけては働かない夫とは、もう結婚生活の維持が困難だと考えて、妻である私は三回離婚調停を申し立てるも、全て不調に終わりました。

調停では結論を導けないため、夫を提訴、不毛な夫婦喧嘩を法廷に移した直後。四十六歳になっていた私は広汎子宮摘出術を受け、子宮のみならず卵巣や膣の半分を失いました。

その後もボロボロの状態で裁判を続け、夫と正式に離婚し、結婚していた間に膨れた借金に対して自己破産を申し立てて免責が下った時、私はすでに四十八歳でした。

全てが終わった後、私は本当に疲れ切ってしまい…裁判所からそのままの足で向かった精神科で「入院の必要性がある」旨診断を受け、うつ状態で三ヶ月入院しました。

退院後、一切の光も途も見いだせなくなってしまった私は、それでも生きていくしかありませんでした。私は地域のフードバンクの支援を受けながら生活を立て直し、DV被害者支援の一環として安価に入居できる公営住宅へ転居が認められました。

自分の居を構え、ひとまず落ち着いて暮らせるようになった私は、若い時に成らしたことのあるライティングの仕事に死に物狂いで打ち込み、ある程度軌道に乗せることができました。私は毎日平均1万5千字程度のライティングをこなし、闘病を続けながらもどうにか自立を果たして現在に至っています。

仕事の成功も影響。苦しみを手放し心がようやく自由になれたと実感

昔そこそこうまくいっていたライターの仕事が、アラフィフにして再開後、どうにか食べていける程度まで軌道に乗った成功体験以上に、親身になってくれる身内は全くない私であっても、地域の人々が自身のためにできる範囲で精一杯協力くださる姿に、私は間違っても「死にたい」と安易には言っちゃいけないと考えるようになりました。生まれつきの負けず嫌いな性格の影響もあるのでしょうが。

私ががんになったがために失ったものは確かにたくさんありました。しかし、同時に苦しみやどうしようもないものに対する固執や依存をも手放せた五十歳の今、私はようやく自由になれたのだと思えるようになりました。

「がんは怖いですか」という質問に対するサバイバーの私なりの回答

よく「がんって怖い病気ですか」と質問されます。それに対して私がお答えするとすれば、以下の通りです。

がんは確かに「病気」ですし、なるべくならスルーしたいものでしょう。ですが、がんは平たくいえば単なる細胞の老化でしかなく、現在は日本人のふたりにひとりが経験する「ありふれた」病気です。

それくらいごく普通の存在であるがんをむやみに恐れる必要はなく、ふたりにひとりが罹患するありふれた病気である以上、がんを怖いと思い過ぎたら、当り前の日常生活自体が送れなくなるかも知れません。単純に「あなた自身のこと」としてがんを捉えていただきたいのです。

さらに誰にでも平等に訪れる「死」に対し、がんに罹患してから考えるのではなく、目を背けるのではなく…常にあなた自身の問題として考えていただきたいと、ひとりのがん患者として私は強く願っています。

現在も闘病中の私の素直な心境、そして希望

私は病気を経験し、死を自分の問題として意識し始めてから、逆に生きる目的がブレなくなり、さらには自分の遺された時間に希望が持てるようになりました。

私は今までずっと自分の本当の想いを殺して生きてきました。自分がそのことをやりたいかどうかということより、世間体や他者に対する責任やしがらみや…そんなもののためにただ「生かされて」いるだけの存在でした。

私はひとりの人間としてそこにありましたが、私として生きている実感は皆無で、だからこそ自分が空っぽで常に「消えたい」と思ってばかりいました。

しかしながら、がんを経験したことによって、私はもうこの先の人生は本当に自分のやりたいことを最優先しようと思えるようになりました。心を解き放ち、自分のための人生を生きようと私が思えたのは、私ががんを乗り越えたからこそです。

本当にやりたかった夢の実現へとシフトチェンジ

ずっとやりたかった趣味のピアノや、バンドでヴォーカリストとして歌うほか、コスプレに励んだり(病気をしてから歩けないままなので)車椅子社交ダンスに打ち込んでインストラクター資格を取ったり…といった個人的な趣味の充実のほかに。

私自身子どもの時に事情で家庭に恵まれなかったことから、同じような成育歴をお持ちの若い方とステップファミリーを構築する試みにトライし始めました。生きつらさを抱える方々のちょっとした話し相手を務めつつ、若い日の私が本当に欲しかった社会的な支援を模索しつつ形にし、生活面のみならず社会的に適応困難な側面をお持ちの皆さんの居場所作りに日々奔走しています。

そういう(私が真にやってみたかった)活動を続けるためには、当然先立つものが必要になるので、病気をエクスキューズにはせず、仕事もがむしゃらに取り組んでいます。

がんだからといて休んでいる暇もなく、悩んでる暇もないよな。この際、やりたいことをひとつでも多く実現させなくちゃ。そう思い切れるようになった現在、私は健康だった若い頃に比べてずっと自由を謳歌している実感を得ています。

生きる迷いがなくなり、ただ自分がやりたいことをやり、実現させたかった希望をひとつでも形にする、そのために真摯に働く。私のなかでの生きる目的が本当にシンプルになりました。

女性特有のがんを体験した私と手術後の恋愛

それでも、子宮頸がんだということで患部は全て手術で取り除き、HPV感染については「シロ」になった私ですが、その後数人の男性からプロポーズされるも、特にセックスに対する不安が強くて、全てお断りしてきました。

大人の恋愛を考える上で、セックスは避けられない問題なのだと私は思い込んでいました。だからこそ、女性としてのパーツを全て失くした私が、男性と真正面から恋愛感情を交えつつ向き合うなんてあり得ない、絶対無理だと拒んでいたのです。

しかし五十代に入って、私に限らず周囲の誰しもが、性欲も含めそもそも人生を黄昏る時期になりました。そのようななか、私自身も「男女の関係は決してセックスだけではない」という想いに達しました。心が自由になれた現在、私は同世代のある男性と真摯にお付き合いさせて頂いています。

現在も闘病中の私にとって、将来の約束なんて一切考えることは叶いません。しかしながら「現在の私」の存在に真正面から向き合ってくれる彼には心から感謝しています。

若い時からセックスに対してトラウマがある上に、元夫との結婚生活の中では不毛な不妊治療に自分の意思抜きで向かわされて、私は性に対してひたすら傷ついて来ました。その果てに子宮頸がんを経験し、私はずっと罪の意識にも似たネガティブな思いに苛まれてきました。

私は未だに性的な行為には強い抵抗を感じざるを得ませんが、子作りという側面が抜け落ちてしまえば、セクシャルな行為ももしかしたら改めて愉しめるのかも知れません。

いつか、一度でいいから…彼と心からそれらすべてを受け容れて愛し合えたらと、淡い希望のように願っている私がいます。

がん再発を疑われて現在精密検査中の私がそれでも抱く希望

この春から再び体調不良に陥り、今も私は入退院を余儀なくされています。
年内にはまた手術を受けることも想定しています。しかしながら、心が自由になった今「がんでもそんなに悪くはないよな」というのが私の偽らざる本音です。

本当にほんとうに誰しも死を避けることはできません。そんなことすら心の奥に抑え込んで見ない振りを続けていた若い日の私は、しかしがんを発症したことを契機に、自分の後ろめたい部分を全て直視せざるを得ない状況に追い込まれました。それは治療そのものと同じくらい、いや、私にとってそれ以上につらい作業でした。私はがんという名の「パンドラの箱」を開けてしまったとでも言えばいいでしょうか。

だけど、私が開けたパンドラの箱の底には、言い伝え通り希望が隠されていました。希望を見いだせた今、私は病気と常に一緒であろうとも、心を強く保って明日の自分自身の向上を願い続けていられます。

どんな人にも死が訪れることだけは確かである以上、がんという病気を過剰に恐れることはありません。それが実際に子宮頸がんと闘うがんサバイバーとしての私の想いです。

がんというパンドラの箱を開けてしまった私が掴んだ希望と自由

むしろ、がんを体験したからこそ、私は生きる意味を見出し、やりたいことを躊躇せずに実現させられるようになれました。自分がその行動をしたいのか、したくないのか。私の判断基準は極めてシンプルであり、迷いというものはありません。単に自由な私がそこに存在するだけです。

がんにかかったために失ったものも多く、治療を続ける上では身体的な苦痛に加えて、精神的な苦痛や経済的な困窮も確かにあり、私がずっと悩み続けていたのも事実です。だから「がんにかかってよかった」とは決して言えません。本当につらいこと、泣けることも多かったですし…。

でも、失ったものが多かった分だけ、私の心は自由になりました。がんによって私は人生そのものをうまく断捨離できたとも考えています。

ある程度自分の人生の終焉がリアルに視界に入ってきたからこそ、人生の達成すべき目標や叶えたい希望もはっきりさせられた私です。

がんはつらかったけれども、病気を契機に私は心を自由に解き放つことができました。もう悩んでいる暇はなく、ただ叶えたい夢を一つひとつ実現させていこう。現在の私はそんな境地にあります。

がんは大変な病気なのは本当だけど、むやみに恐れなくても生きていけるんだよ。病気だとか健康だとかは関係なく、あなたはただこの一瞬一瞬を大切に生き抜いてね。私も精いっぱい頑張って自身の向上を願い続けるよ。がんサバイバーの私が健康な人に申し上げたいのはこれだけ、ここに尽きます。

がんを経験した私が皆さんに本当にお伝えしたいこととは

がんだろうと健康だろうと、生きていることそのものが偶然であり奇跡だともいえます。奇跡である以上、あなたも、そして私も他人とは比較せず、ただ自分らしい幸せを掴むことがこの世に生まれてきた目的だと私は考えています。

こんな境地に至れたのも偏にがんという病気を体験し、悩み苦しんだ果てに、私なりに希望を見つけたからこそです。がんは確かにしんどい病気のひとつです。しかしがんは同時にありふれた病気でもあり、必要以上に怖がることはありません。

病気を経験した先輩として私が皆さんに一番見失っていただきたくないことは、あなたが仮にがんにかかったとしても、「あなたはがん」なのではなく、あくまでも「あなたはあなた」であるという真実です。

どんな場所にあっても…あなたが、ずっと「あなた」として心を自由にあなたらしく生きられますように。私は遠くからそう祈っています。

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