この記事は「子宮頸がんの治療で、私が選択したのは化学放射線療法(CCRT)」の続きです。前回の記事では子宮頸がんのために化学放射線療法を受ける決断をしたところまで。
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初めての長期入院
外科手術の場合の入院期間は2週間程ですが、化学放射線療法(CCRT)の場合は入院期間は約2ヶ月になります。放射線は一度に沢山当てると腸に穴が開いたりしてしまうので、毎日少しの線量を当てる必要があるからです。
また、放射線の効果を高める抗がん剤を週に1度投与しなければならず、アナフィラキシーや副作用の管理のため、私が治療を受けた病院では入院治療が基本でした。人生で1度の、それも骨折での短期入院しか経験した事がなかったので、2ヶ月もの入院というのは想像ができませんでした。
私が選んだ病室は4人部屋の通路側。理由は一番安かったからです。窓際の方が風景も見れて精神衛生的に良さそうだと思ったのですが、差額ベッド代が5000円もかかるというのであきらめました。
幸い生命保険に入っており、入院費用は殆ど生命保険でカバーできたのですが、無職になっていましたので、退院後の事や「万が一」の事も考えてなるべく安く抑えようと思ったのです。「万が一」再発してしまった場合、治療費はいくらあっても困りませんから……。
入院初日から始まった治療―リニアック照射
自分のベッドの横に荷物を置き、病院のパジャマに着替え、看護助士さんから施設の説明を受けた後はすぐに第1回目の放射線治療へ。入院の一週間前の外来時に、放射線を照射する範囲などの計画が出来上がっており、すでに体にはマジックでマーキングがされていました。
看護師さんの指示に従いトイレなどを済ませ、地下にある放射線科へ行くと放射線科の看護師さんが治療の説明をしてくれました。この日受けるリニアックという機械での治療は5分程で、その間ベッドの上で動かなければ息をしても大丈夫なのだと。CTなどでも息を止めて撮影したので、これには少し驚きました。なんでも最近の機械は呼吸に合わせて自動で照準を合わせてくれるそうです。
放射線科の看護師さんに言われた通り「リニアック3」と書かれた扉の前の椅子に座って待っていると、扉の上で光っていた使用中のランプが消えて、ワンピース姿の女性が男性医師に付き添われて出てきました。呼び出し用のPHSを持っていたので、治療を終えたばかりの患者さんであろう事はすぐに分かりました。デパートへ買い物にでもいってきたような、とても放射線治療を終えたばかりとは思えない雰囲気です。
そして、ワンピースの女性が”デパートへ買い物にでも行ってきたような”雰囲気でいられた理由はすぐに分かりました。ワンピースの女性と一緒に出てきた男性医師に名前を呼ばれ、入院手続きの時腕につけられたリストバンドのバーコードを機械で読み取られます。それから中に入ると広い部屋の真ん中に、SF映画にでも出てきそうな「リニアック」の機械がありました。
男性医師に促されるまま鉄のベッドに横になると、上にリニアックの照射部が見えます。赤い照準線の奥は暗くて見えませんが、医師はここから放射線が出てくると説明してくれました。
そこに映る自分の顔を見ながら、なぜか恐怖や悲しみよりも”ワクワク”したのを覚えています。昔からSF映画が大好きだったので、なにか自分が宇宙船にでも乗っているような気分になったのです。この趣向は後の入院・治療生活の中で気力を保つのにとても役立ちました。
看護師さんの説明通り治療はあっという間に終わり、痛くもかゆくもなく、リニアックが回転・照射する小気味良い音だけが室内に響いていた5分間。「本当にこんなのでがんが消えるのだろうか?」と少しだけ不安に思ってしまったほどです。
頼もしい仲間の存在
初めての治療を終えて病室に戻ると、入口で同室の方と初めて出会いました。施設説明、治療、今後の説明と慌ただしかったので、同室の方に挨拶する時間もなかったのです。
入口でばったり出会い、初めて挨拶を交わしたのは隣のベッドの方でした。60代後半のその女性は、私と同じ「子宮頸がん」の「扁平上皮癌」の治療で入院されていると自己紹介してくれました。更に治療法も私と同じ化学放射線同時併用療法(CCRT)とのこと。
「ステージ3でがんの大きさは10㎝を超えていたのに、それが2週間で半分以下にまで小さくなったの」というその女性の言葉に、私はとても勇気つけられました。そして「この治療で私のがんは消える」そう強く確信したのです。
夕食の時間には他の同室者の方も戻ってきたので挨拶を交わし、夕食を食べながら自己紹介をしました。孫が生まれたばかりのおばあちゃん、お子さんが生まれたばかりなのにがんが分かった同年代の方……
私は自分の事を「30歳でがんになった、だれよりも不幸な人間」だと思っていたのですが、とても恥ずかしい気持ちになりました。年齢なんて関係なく、皆それぞれがんになった事によって辛い思いをしているのに、なんて自己中心的な考えを持っていたのだろうと。
「皆で乗り越えて退院しようね」
夕食後、消灯までおしゃべりするのが日課になり、寝る前には必ず誰かがそう言っていました。副作用で辛いとき、ふいに不安の穴に落ちてしまった日などはどんなにこの言葉に励まされた事か。同室だった皆さまには感謝してもしきれません。
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