この記事は「乳がん体験記森さん編⑦針生検をした3つ目のしこりの正体が判明」の続きです。
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手術当日の朝になりました。この日は、飲食はできません。排便を済ませて(前日に下剤を渡されて飲みました)T字帯をつけ、手術着に着替え、弾性ストッキングを履いたら、点滴を開始します。
手術後は、回復室に移るので荷物を持って手術室に移動したのですが、持ってきた荷物をすべて持っていかなくてはならないので、ちょっと手間取ってしまいました。
手術は、午前9時から2時間ほど。左乳房切除術と、センチネルリンパ節生検です。付き添ってくれた夫と別れて、私は手術室に入ります。
「手術が終わったら、肩をたたいて合図をしますので、目を開けて下さいね」と麻酔科医から言われました。
点滴に麻酔が入ると、頭がぼーっとしてきました。フワフワしている感じで、目の前も白く霞んでいるような感じでした。と、思っているうちに、意識はなくなりました。
そして、次の瞬間には、名前を呼ばれていました。
「終わりましたよー」
声をかけられて目を開けたのを覚えていますが、状況がよくわからず、ぼんやりしたような、気持ち悪いような感じで、すぐにまた眠りに落ちてしまいました。
次に目を覚ましたのは、回復室でした。横を見ると、母と娘がいるのが分かりました。私は、娘の名前を呼んだと思います。娘が騒ぐので、母がすぐに連れていきました。
私はまた、すぐに眠りに落ちました。目を覚ました時は、まだ意識が朦朧として、何も考えられない、何も考えたくない状態でした。手術から、どれくらい時間がたったのかもわかりません。でもまだ酸素マスクをしていましたから、5時間は経っていないようです。手術後、5時間までは酸素マスクを装着しているとのことでしたから。
酸素マスクをしていると、呼吸が楽になるのだろうな、と思っていましたが、酸素マスクをしている口と鼻の周りが暑く、逆に息苦しかったです。
ずっと同じ姿勢で寝ていたので、背中や腰も痛くなってきましたし、手足や体には血圧計(時間が来ると、自動的に血圧を測ります)や心電図モニター、膀胱留置カテーテル、排液用のチューブ、マッサージの機械(血栓予防のため、足裏を一定時間ごとに刺激して血行を促します)がついているので、何だか窮屈で、近くにいる夫に体位交換枕を背中にあてて、とか、タオルケットをかけて、いや、暑いからもう少し下げて、とか指図ばかりしていた気がします。それ以外は、まともに話ができませんでした。
その日は、翌朝まで浅い眠りを何度か繰り返すという感じでした。点滴には、始めから吐き気止めを入れてありましたので、手術直後の吐き気は抑えられていましたが、眠りから覚めるたびに、痛み止めによる副作用で気分が悪くなりました。
一定時間ごとに、腕につけた血圧計が加圧したり、足のマッサージの機械がパコンと音を立てるので、それで何度も目が覚めてしまったりしました。ただ、覚悟していた傷の痛みは、それほどありませんでした。
夜が明けると、採血(手術した側の腕では採血できず、反対側の腕は点滴をしていましたので、採血は足から取りました)、ベッドで寝たまま胸部のレントゲン撮影がありました。その後は体を拭いてもらい、パジャマに着替えさせてもらいました。
そして膀胱留置カテーテルも取れ、自分でトイレに行くことができるようになりました。最初のトイレは、まだフラフラしていましたので、看護師さんに付き添ってもらいました。
お昼からは、食事が出ました。ごはんはおかゆですが、おかずは鶏の照り焼きともやしの和え物、デザートにパイナップルが出ました。1/3ほどしか食べられませんでしたが、食事ができて嬉しかったです。この後は、回復室から病室に戻り、ゆっくりと過ごせるので、ほっとしていました。
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