前回の記事「内視鏡で大腸がんが見つかるまでの経緯。血便が止まらない」では大腸内視鏡で大腸がんが見つかったところまで。
ー絶対に負けられない理由ー
私には3人の子供がいる。当時高1の息子、中2の娘、そして一番下は4歳の幼稚園児。どこにでもいるような平凡だけど幸せな家庭だったのに…。
私の体調不良と同時期に、中2の娘の不登校が始まった。正確には保健室登校。
『体調が優れなくても朝は必ず登校すること。』
これは私と子供達との約束事。
社会に出た時に、少しの体調不良で仕事を休んでほしくないから、小さい時から言い聞かせてきた。
中2のクラス替えの時、仲良しグループがみんなバラバラになったが、何とか新しい友達が出来た。その友達を含む一部の女の子達からある日突然無視されたり、嫌がらせをされたりするようになり、教室に入れなくなってしまった。
私は無理には学校に行かせなかった。だけど娘は頑張って保健室には登校してた。私がそばにいなきゃいけないこの大事な時に、癌なんかになってしまい何とも情けない。子供が苦しんでるのに家を空けなきゃならないなんて…。こんな親でごめんね…。
―告知と手術説明―
大腸内視鏡を受けてから1週間後CTを撮り、そして3日後に旦那と一緒に手術の説明を受けた。
外科の先生で私の執刀医からの手術説明。
『上行結腸がん』
これが私に宣告された病名。
幸いにもCTの結果、現段階では他臓器への転移がなく、患部とその周辺の盲腸、小腸の一部を切除し、繋合わせるだけの比較的簡単な手術だと言われた。
上行結腸は盲腸近くにある結腸で、大腸がんのうち、この上行結腸にできるのは15%未満、割りと稀なケースらしい。直腸ではなかったので人工肛門の必要もない。
手術日も決まった。本当は1、2ヶ月先になるらしいが、癌が4㎝と大きいことと、まだ若いから癌の進行が早いだろうということで、執刀医がかけあってくれたそうだ。
1週間後手術…。2週間後に娘の修学旅行が控えている。それまでに退院できるだろうか。でももしかしたらそのまま…。不安は尽きない。
手術の前日に入院
食べることが大好きな私は病院食を楽しみにしていたが、入院早々『絶食』の札がさげられた。大部屋だったので、同じ部屋の患者さんのご飯の香りがすごく鼻についた。
明日手術だっていうのに、この余裕。こんな時でもお腹は空くのね。
寝る前に下剤を飲んで落ち着いたあたりに、フッと色々なことが頭をよぎった。頭に浮かぶのは家族のことばかり。
『ご飯ちゃんと食べたかな?』
『ちびちゃんママいなくて泣いてないかな?』
『お姉ちゃん学校どうだったかな?』
『お兄ちゃん明日起きれるかな?』
あーこの子達の為にも頑張らなきゃ!ここで死んだら絶対ダメだ。何としても生きる!何故か根拠のない自信があって、例え困難な手術になったとしても何とかなるような気がした。
入院する前の日に実家に行き、仏壇に手を合わせてきた。きっと天国にいる母が助けてくれる。神頼みならぬ母頼み。大好きな母だったから、何かあるごとに実家に行きお線香をつけ報告をしてた。母が何とかしてくれる!そう思うと気が楽になっていた。
―いよいよ、大腸がんの手術当日―
とうとうこの日がやってきた。11時からの手術で1時間前には手術室に移動する。
その前に旦那が来た。
『子供達ちゃんとご飯食べた?学校行った?』
『行ったよ。』
やはり子供達が気にかかる。
そんな会話をしているうちに、父と近くにいる姉も来てくれた。
『ばあちゃんに線香つけてきたから。』
『うん。』
『そろそろ手術室に移動しますよ。車椅子じゃなくて歩いて行けるよね。』
『大丈夫です。』
病室を出て長い廊下を歩いた。私、またここを歩けるのだろうか…。家族控え室の前で、旦那と父と姉と別れた。
『頑張ってこいよ。』
父に言われると泣きそうだよね。
『大丈夫、行ってきます。』
精一杯の返事だった。
そして旦那に
『行ってきます。』
『うん。行ってらっしゃい。』
そして結婚指輪を外して渡した。
『持っててね。』と。
結婚してから一度も外したことがない指輪。またはめられますように!を込めて預かっててねと。そして私は3人と別れ看護師さんと一緒に決戦の場へ向かった。
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