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大腸がん手術の結果。見える範囲全部取ったが転移の不安

 

この記事は「大腸がん手術の前日と当日の心境。がんは4cmで大きいサイズ」の続きです。

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大腸がん手術、無事に成功

手術室に入った。ドラマで見る光景と一緒。手術台に横になり名前、生年月日を言った。

『それでは麻酔入りますね。ゆっくり数を数えて下さい。』
『いち、に、…。』
そこから先の記憶はない。

『〇〇さん、わかりますか?』
そこには執刀医がいた。
「手術終わったんだ。」
お花畑も母の『戻りなさい』というのもなかったので、緊急事態は免れたようだ。

『無事に終わりましたからね。』
『ありがとうございます。癌を見ること出来ますか?』
『見ますか?どうぞ。これが…。』
私の中に巣食ったにっくき大腸がん。
これで一段落。

とにかく嬉しいとしか言いようがなった。後から考えると目が覚めて最初に出た言葉が『見せて下さい』はありえないですね。

『回復室に行きますね。』
『はい。』
またそこからの記憶がない。目が覚めた時には回復室で、旦那と父と姉がいた。
『頑張ったね。』
父に言われた。
私頑張ったよ。寝てただけだけど。

『先生何だって?』
『大丈夫だって。見える範囲で全部取った。あとは転移してないかリンパ節も何ヵ所か取ったって。』
まだ転移の不安はあるけどとりあえず良かった。

父と姉が先に帰った。
『今何時?』
『18時』
『もうそろそろ帰って!子供達が待ってる。』
『わかった。また明日来るから。』

一人になった部屋。考えるのはどんな時でも子供達のことばかりだった。私、生きてる。今まではそんなことも考えたこともなかった。生きてることが当たり前だと思ってた。

その夜は時間が経つのがすごく遅く感じた。痛みで目が覚め、痛み止めを処方してもらうが、追いつかないほどの痛さであった。真夜中にナースコールを何度も押すのが申し訳ないぐらい…。

次の日一般病棟に移った。子供達を学校へ送り出し、旦那が来た。当時旦那は夜の仕事だったので、私が入院中は仕事を休んでいた。

やはり母親がいないと家庭が回らないようで、家事に不慣れな旦那はとても大変だろう。ただ子供達が協力的で、息子は洗濯と自分の制服のシャツのアイロンがけ、娘は食事作り、そして旦那は末娘のお世話と自然に役割分担がされていると聞きホッとした。

私が家を空けて治療に専念できるのも家族のおかげ。痛いの何のと言ってられない。早く家に帰らないと!

大腸がん手術の次の日から歩くのは無理な話で、起き上がることさえ出来ずにいた。そして絶食。かろうじて水だけ飲むことができた。たった2、3日寝てただけでこんなに体力がなくなるとは…。なるべく歩くようにし早く退院することだけを考えてた。

食事も5分粥を食べれるようになったあたりに、先生が回診にくる度に『いつ退院できますか?』と聞いていた。娘の修学旅行前に何としても退院したい。回診の度に話していた。

傷の具合も良く退院の許可が出て、退院したのは修学旅行に行く前日だった。開腹手術をして手術から6日目の退院。父や姉からはそんなに早く退院して大丈夫なのかと言われたが、保健室登校の娘が修学旅行に行くと決意したのだから、お弁当を作って見送りたかった。それが親の役目と思ったから…。

退院したのはいいが痛みであまり動けない。お弁当を買って夕食にしようとも思ったけど、自分が食べられる物がない。

冷蔵庫を見ると実家の義姉がおかずを何日かおきに持ってきてくれていたようで、その日の家族の夕食は残っているおかずにした。

私は食事制限があり、油ものダメ、肉も鶏肉のみ、野菜も繊維質のものはダメ、と本当に何を食べたらいいのか悩むぐらいだった。

次の日娘が修学旅行に出発した。行くと決意したのに、バスに乗る前にやっぱりダメで泣き出してしまったけど、先生に連れられバスに乗った。私が見送りに行ったせいかもしれない。楽しい思い出を作って帰ってきて欲しい。ただただそう祈るばかりだった。

続きは「大腸がんの手術は成功したが、抗がん剤の副作用が待っていた」

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