この記事は40代の女性に書いていただきました。
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『まさか自分が癌なんて自分には無縁な物だと思っていた』
きっと病気を患った人は誰もがそう思う。私の場合、まだ未成年の子供がいたので、なおさら『どうしよう…。どうしよう…。』と思いましたが、悩んでもどうしようもないこと。
「この戦いだけは絶対に負けられない! 」と覚悟を決めることができたのも、子供がいたからです。
ーもしかして更年期?ー
40歳を目前に体のあちこちにガタが来はじめました。
仕事中に同年代の同僚と『フラフラする、更年期かな?疲れが抜けない。』と全ての体調不良を更年期のせいにしていました。
「でもいつもと違う。」
拭き掃除をすれば1メートルほど拭いただけで息切れ。
また、当時下の子が保育園に通っていて、駐車場から保育園までの60~70メートルほどの登り坂を歩いただけでゼーゼーと息切れ。元気盛りの4歳女児。走ろうものなら、走れなくて追いつけません。
最初は「歳のせいだろう、アラフォーだし。気持ちは若いつもりだけど、体がついていかない。歳だよね…」と思うだけでしたので、まさか大腸がんが潜んでいたなんて。
息切れが慢性化してきた頃、車の運転中にも目が回ってフラフラしだすようになってきた。病院なんて出産とインフルエンザの時しか行ったことがなかった。
病院嫌いではないけど面倒だし、健康には何の根拠もない絶対的な自信があった。
そんな私が、『これはただ事じゃないかも?』と変な予感じゃないけど受診しようと思ったのです。ちょうど年末。年が明けたら受診しよう。そう決めたのでした。
年明け早々、42歳の厄払いで中学校の同窓会があったのですが、立ったまま話を聞くこともできないし、記念撮影も早く終わって~という始末。
『顔色悪いよね。』 みんなにそう言われました。
久しぶりにみんなに会って思い出話とでもいきたいところでしたが、二次会なんてとんでもない!泣く泣く辞退しました。
ーいざ、受診!ー
私の住んでいるのは小さい町だけれど、個人病院が4、5ヶ所あります。本当は最初から大きな県立病院を受診したかったのだけど、予約制。予約を取るには個人病院からの紹介状が一番の近道。
直接の予約は1、2ヶ月先になってしまうので、個人病院を受診した方が万が一の場合、早く受診できるのです。
もちろん、受診前は「個人病院で原因がわかって、それで治ればそれに超したことはないし」と思っていました。この病院にはインフルエンザにかかった時や子供の予防接種で何度か来院したことがあり、受付の人や看護師さんは知り合いでした。
『貧血がひどくて…。』
『この病院で大丈夫?』
看護師さんの言うこともよくわかる。 この病院は患者さんがお年寄りばかりで、私みたいに若い患者さんはあまりいないのです。 だけど目的は万が一の場合、県立病院を紹介して欲しいだけだったので、『大丈夫です。』と、返事をしました。
血液検査をして、少し待つと診察室に呼ばれました。
『ヘモグロビンの数値が女性で12以上が正常なんだけど、半分の6しかないよ。よく生活できてたね。』と驚き混じりで言われた。
『とりあえず鉄剤を4週間分出すから、飲んでみて。薬がなくなったらまた来て。』と言われ、家に帰りました。
4週間鉄剤を飲んでみたけれど、まったく効いてないのか貧血は治まらない。仕事の朝礼・終礼のたった5分なのに、その短時間でさえ立っていられない。歩く時も真っ直ぐ歩けなくてフラフラ。
ヘモグロビンの数値が『6』だと聞いて『私病気かも?』と思うと、余計病人らしくなってしまうのは、きっと気持ちの問題だろう。そして薬を飲み終わって初診から4週間後、また受診しました。
『調子はどう?』
『全然変わらないです。』
『何かな~。何だろうな~。ん~。』
先生の専門外だといつもこんな感じ。
『大腸がんかな…。』
『…えー‼』
いきなり『大腸がんかな』なんて、いきなり言われても驚くしかないじゃないですか!血液検査しかしてないのに大腸がんなんて…。そんな恐ろしいこと言わないでよー!と心の中で叫んでいました。
『とりあえず便の検査をしましょう。』
2日分の検査容器をもらい、そしてまた鉄剤を処方され家に帰りました。検査方法の紙を見ると『新聞紙を敷いて…。』と書いてあったけど、じゃあその後新聞紙どうするの?と一人つっこみが始まりました。
普段から便秘気味の私。1週間出ないこともたびたびあった。でもこの時ばかりは水分をたくさん摂ったり、繊維質の食べ物を食べたり、わりと気を使いました。
2回分の検便を持って再度受診。
『外注になるから検査結果が出るまで1週間ぐらいかかるから。もし異常があったら連絡するから。』と言われ、病院を後にしました。
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