この記事は「乳がん体験記 森さん編⑥MRIで3つ目のしこりが見つかる」の続きです。
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最後に針生検をした3つ目の小さなしこり。これが、悪性か良性かということは、結局わかりませんでした。しこりが小さかったので、検査をするのに十分な量の細胞が採取できなかったのです。
同じ乳房の中に、他に2つの乳がんがありますが、これは悪性である可能性が高いことを告げられていますので、医師と相談の上で、手術は全摘でお願いすることに決めました。
全摘に決まったと言うと、周囲からは、セカンドオピニオンを、と勧められましたが、ここで全摘手術を受ける心づもりはできていましたし、病院が変わってまた検査づくめになるのも嫌でした。
それに、私が日曜日ごとに通っているキリスト教会には、同じ乳がんを経験された方が何人かいて、そのうちのひとり(全摘手術)が、手術の痕を見せてくれたのです。思ったよりきれいな傷痕なので、安心した、というのもあります。
同じ病気の先輩方からは、手術後のこと、栄養面のこと、下着のことなどを教わったり、励まされたり、とても助けられました。
結果が出てからの1週間は、本当に慌ただしい毎日でした。幼稚園の納涼祭の準備や娘を実家の母に預ける準備……1週間のうち、4日ほど妹が来てくれることになったので、実家に預けることになりました。
夏休みに入りますが、幼稚園では夏休みでも預かり保育を実施してくれていますので、そのための持ち物や、実家に置いておく着替えなどを用意します。
それから、自分自身の入院の準備……入院するには、何かと必要で、パジャマやタオル、スリッパ、洗面具など、足りないものを買い足します。
そして、幼稚園の納涼際も無事に終了し、入院の日です。朝、夏休みの預かり保育へ娘を送っていき、手を振って保育室に入る娘の後ろ姿を、私はいつまでも見ていました。今夜からは、娘は母の所、私は病院。自宅に戻ると、教会の牧師が来てくれておりお祈りをしてくれました。
そして入院のことを知った友人たちから、メールや電話が来ました。その後、家の片付けや掃除に追われ、昼食を済ませてから、夫に病院まで送っていってもらいました。
看護師や麻酔科医から、手術や手術後のことに関する説明を聞き、手術に必要なT字帯(カテーテルを入れるため)、胸帯(術後の傷を保護するため)を院内のコンビニに買いに行きました。
弾性ストッキングも必要なのですが、私は帝王切開の手術をした時のものがありましたので、持参していました。弾性ストッキングはきつめの靴下で、つま先に穴が空いています。手術後は、寝たきりになりますので、血栓予防、要するにエコノミー症候群にならないようにするためです。
弾性ストッキングをした上で、両足にそれぞれ器具をつけ、それが、一定時間ごとに足裏をたたいて刺激します。
そんなこんなで、入院してからもバタバタしていた感じです。その間に、この病院に勤めているママ友が様子を見に来てくれたり、教会の同じ病気を経験した先輩が、励ましに来てくれたりしました。
少しの間でしたが、母も娘を連れてきてくれました。娘は、私がどこにいるのかがわかって、少し安心したようでした。
たくさんの人に支えられて、手術に対する恐れや不安は、思ったほどありませんでした。シャワーを済ませて、この日の夕食までは食べられます。午後9時以降は飲食禁止とのことでした。
夜は、手術前の患者さんみんなにそうしているのか、看護師さんが睡眠導入剤を持ってきてくれました。なくても眠れるかな、と思ったのですが、やはりドキドキしていて寝付けないので、薬を飲むことにしました。
朝になったら、いよいよ、手術です。そして、左の乳房とお別れします。娘がまだ、おっぱいを飲んでいた頃のことを思い出しました。つい、2年まえのことです。それが、なくなってしまうなんて、何だか不思議な気持ちでした。
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