この記事は「[乳がん体験記 原さん編⑤]院長先生にリンパ節郭清の見解を聞く」の続きです。
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セカンドオピニオンは大した収穫はありませんでしたが、これで、手術を最初に診察を受けた日生病院で受ける気持ちが固まりました。乳癌は手術後も最低5年という長い年月を医師と付き合わなければなりません。だから、病院の規模や症例数も大切ですが、医師との相性が今後ストレスなく治療を続ける上で大切との結論に達しました。
日生病院でセカンドオピニオンを受けたAクリニックでの顛末を話すと、医師、看護師さん共々笑われました。医師に手術をお願いしたいことを伝え、「センチネルリンパ節に2~3個転移があっても郭清(リンパ節を取り除く)はしないで欲しい」ことも言いました。
実は論文(「JAMA誌2011年2月」掲載の論文)を鞄に忍ばせて診察室に入ったのですが、そこはさすがプロ、医師はその論文を御存知でした(論文は「転移陽性のリンパ節が1~2個の患者は、郭清しなくても予後に変わりはない」という趣旨のものです)。論文の内容を医師に話すという生意気なことをせずに済んで良かったとほっとしました。
医師は
「今後はもしかしたら、それが主流になるかもしれないけれど、現在の標準治療では1つでもリンパ節に転移があれば郭清するのは理解している?」
「もしわきに転移していて、郭清しなければ腫瘍が大きくなり脇の下が腫れてくる可能性もあるけれど?」
と警告とも取れることを言われましたが、私も散々考えての結論ですので
「全部承知しています」
と答えました。
仕事の段取りがあるので、手術日は1か月半後にしてもらいました。
腫瘍が大きくならないか少し不安でしたが癌が成長するのはゆっくりだから影響はないとのことでした。
この診察の後、午後から会社に行きました。私は社内で特殊な仕事をしているので、同僚でカバーできる人がいませんでした。上司の席に行き、健診で引っかかって乳癌が発覚したこと、1か月後に手術をすることを伝えました。
派遣社員を雇いサポートしてもらいたい、期間は引きつぎに1か月、手術後から放射線治療が終わるまで2か月、派遣にかかる費用はこれくらいといった内容のことを一気にまくしたてました。もし費用のことを言われたら自分の給料を削って下さいとまで言うつもりでした。しかし、さすがにそこまでは言われませんでしたが。
今後の治療費などを考えると仕事をやめる選択はありませんでした。
上司はびっくりした表情で、黙って私の話を聞いていましたが、聞き終わると意外なことを言いました。
「実は僕の奥さんも10年ほど前乳癌だったんだ。」
今度は私がびっくりする番でした。
奥様には、何度かお会いしたことがあり、趣味の旅行で飛び回っていらっしゃるのを知っていました。癌に罹患しても治療して元気に過ごしている人がいると知るのは、とても心強いことでした。上司は話の最後に「今は心配だろうけど、案外なんとかなるものだよ。」と言われました。張りつめていた気持ちが、少しほぐれた瞬間でした。
彼はまた治療法などにもかなり詳しく、意外な人が理解者になってくれたことに助かりました。私の提案は受け入れられ、同僚たちも驚いていましたが、サポートを約束してくれました。仕事が続けられたことは、金銭面ではもちろんですが、精神面でも大きな支えになりました。
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