この記事は「乳がん体験記 原さん編⑥]医師からの警告と職場の上司への告知と反応」の続きです。
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その日の夜、会社帰りに実母に会い、癌であることを告白しました。姉を乳がんで亡くして私まで乳がんになってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
母は信じられないような表情でしたが、病気のことはあまり聞かず、デパ地下に連れて行ってくれて、いつもは買えないような惣菜をたくさん買ってくれました。帰って夕飯を作るのもつらかったので、とてもありがたかったです。
夜遅くに帰ってきた主人に乳がんになったことを話すと、絶句していましたが、第一声は「抗がん剤はするの?」でした。主人は友人が抗がん剤で苦しんで死んでいった姿を見ていたので、それが気になったようです。この時点では抗がん剤をする可能性はゼロではなかったのですが、「恐らく使わないと思う」と言うとほっとした様子でした。
話し合った結果、子供たちはまだ小さいので病名は伝えないことにしました。
それからは、恐ろしく忙しい日々が待っていました。会社では仕事の引き継ぎをしつつ、合間をぬって手術前の色々な検査を受けに病院に通いました。血液検査、MRI、CT、骨シンチグラフィー(骨の転移を調べる)、心電図、肺活量など(これらは癌の転移や全身麻酔に耐えられるかを確認する検査)。骨シンチの画像は自分の骸骨の写真が見られるのが面白かったです。
幸い転移はありませんでした。肺活量の数値は妙に良くて、先生に「何かスポーツやっていた?」と聞かれるほどでした。ずっと文科系の部活でしたので意外でした。病気が治ったら楽器を習おうと考えていましたが、肺活量が多いということでサックスに決めました。病気の治療が終わったら、これをしよう、あれをしようと気持ちを奮い立たせることは大事だと医師に聞いていたので、昔から好きだった音楽をしようと以前から決めていました。
手術の1週間前くらいに、配偶者と一緒に最終的な確認の場がもたれました。小さな会議室のような部屋で、主治医より今までの画像や検査結果を見ながら主人にも丁寧に説明していただきました。マンモグラフィーの画像を見ながら、「よく読影技師の人が見つけたと思うよ。これはラッキーだったね。」と言われました。
私はこの時期また一つの決断をしました。センチネルリンパ節生検(腋のリンパ節に転移していないか調べる検査)を受けないことです。生検だけでも浮腫の出る人がいるとの情報を何度か目にし、私の場合は腋のリンパ節に転移している可能性が10%未満なので転移していないほうに賭けることにしました。
これで手術から目が覚めたら、脇のリンパ節が取られている恐れは無くなりました。センチネルリンパ節生検をしないことを先生に伝え、改めて主人を交えてリスクの説明をしっかり受けた後、同意書にサインをしました。
手術日の前日にいよいよ入院です。入院して夜一人になったとき、不安よりやっとここまでたどり着けた安堵感のほうが大きかったです。自分で出来ることはもはや無く、後はまな板の上のコイのようにすべてを任せるだけです。
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