この記事は「乳がん体験南さん編⑧術後の検査結果は過去2人しかいない癌でした」の続きです。
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「扁平上皮化生癌はですね、特殊型なんです。私も過去に2人ほどしか診ていません。この癌は本当に珍しくて、症例がほとんどない。しかも、抗がん剤の効果は乏しいんです。」と衝撃の言葉を医師から言われた次の日、私はインターネットで化生癌について調べました。
症例数が本当に少ないのか情報はほとんどなく、あっても昭和の頃の文献や症例があるだけでした。
そんな中、扁平上皮化生癌に関して記してあるサイトを見つけました。
読み進めると、信じがたい記述が。
・扁平上皮癌は予後が不良
・再発は血行性で、肺や骨に転移する
=>血行性とは血管(血液)を通して癌が転移すること
・乳がんの扁平上皮癌の発生はまれで、全乳がんの0.1%以下
・治療は標準治療である、抗がん剤の使用が大切
0.1%?つまり、乳がんの方の1000人に1人しかいないってこと?
そんな・・助からないじゃん。何度調べても情報は同じ。
乳がんの人のブログを読んでも、私と同じ方がいない・・。
抗がん剤しか治療法がないのに、その抗がん剤だって、効果が乏しいじゃないか・・。
私の中で、今まで我慢していた思いが出てきました。泣いて、泣いて、泣きまくって。声は出ないけれど、次から次へと涙が出てくる。
家族が仕事や学校でいなくてよかった、と思うほど、朝から晩までずっと、泣いていました。
みんな、ごめんね、
本当にごめんね・・。
そんな思いや、何で私は生まれてきたんだろう、両親や子供を悲しませるんだったら、生まれてこなければ良かった・・。
そう、追い込まれました。
生きる意味。
生きている意味。
生きるってなんだろう・・。
改めて、「生きる」ということを考えました。
でも、自己防御機能が体の中で働くのか、泣くと落ち着くんですね。
夜、お風呂に入りながら
「受けてたってやる。抗がん剤だって、なんだって乗り越えて見せる」
そう一人でつぶやいていました。
第一回目の抗がん剤投与は、泣きまくってから6日後でしたが、前日にまず、肩よりも長かった自分の髪の毛を自分でショートにまで切りました。一人断髪式です!
その後、切った髪の毛をヘアバンドにボンドやら布やらでくっつけ、自作の簡単ウィッグを作りました。これは、帽子をかぶると後ろ側に髪の毛があるように見えるのです。
そしてタオルで帽子作り。奮発して国産の肌触りの良いタオルを使ってしまいました。
こうやっているうちに、少しずつ自分を取り戻し、もうなるようにしかならない!と思いましたね・・。自分ですべて受け止めたのだと思います。
そして抗がん剤投与の日。
化学療法を行う部屋は、病院の端にあって扉は重く、管理されている感じでした。
採血をし、白血球の数を確認。問題がなかったので、いよいよ投与です。
吐き気止めの点滴から始まり、エンドキサン、ドセタキセル、生理食塩液と進みます。
この間は、飲食をしてもテレビを見ていてもOK。私は、ただ、ぼーっと液が落ちていくのを見ていました。私の体の中に、薬が入っていく・・。どうか、効果がありますように・・。そう思っていました。
午前9時20分に投与して、終了が12時30分。意外とあっさり終わりました。
吐き気もありません。あれ?楽勝かな?と思ったくらいです。
でも、徐々に体に変化が。
投与した日は何ともなかったのに、2日目、3日目と進むにつれ、吐き気や足の裏の痛み、関節痛、皮膚のかゆみ、味覚の変化が現れ始めました。夜も痛みなどで、よく眠れなくなったのです。
そして、投与から12日目。
髪の毛が抜け始めました。これが面白いように抜けるんです!
他の方のブログから、髪の毛が抜けた時はショックだ、と知識を得ていたのですが、むしろ私は、「本当に抜けるんだ~!おもしろい!」と抜け始めてから毎日のように、自分でひたすら抜いていました。
ですが、そんな私をみて長男が一言冷静に怒りました。
「髪の毛、自分で抜くな。自然に任せて床に落としておけ。」と。
ハッとしました。
そっか。そうなんだ。
たった一言でしたが、妙に心にストンと入りました。自然に任せる・・。大切なことを忘れていた気がしました。
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