この記事は「乳がん体験 南さん編②乳がん告知の後、ショックで手が震える」の続きです。
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次の日の午後、主人と一緒に検査結果を聞きに行きました。
前日に家族の方も、と先生に言われていたからです。
いよいよ呼ばれて診察室に入り、すぐに先生は一枚の紙を出しました。
組織診断報告書には、
ER-
(エストロゲンレセプター)
PgR-
(プロゲステロンレセプター)
HER2-
(癌の増殖に関わるタンパク質)
Ki67は80から85%
と書かれていました。
これって・・。
「先生、私、トリプルネガティブですか?」
すぐに質問しました。
「よく勉強してきていますね。そうです。トリプルネガティブです。」
その瞬間、震えが起きてきました。
トリプルネガティブって、進行が早くて、治療法がない・・(エストロゲン、プロゲステロン、HER2に対する受容体がないため、ホルモン療法などの治療効果がない。小林麻央さんもそうだと言われています)。
Ki67(癌の増殖能力を示す値)も高すぎる。
乳がんと言われた時よりもショックが大きかったです。でも、私がなんとかしなきゃ、主人の前で先生の前で泣くわけにはいかない、そう思って踏ん張りました。
先生のお話しでは、腫瘍は3㎝ということと脇のリンパ節に転移がありそうだと伝えられました。幸い遠隔転移はしていないようです。
ただ、私は腫瘍が大きいので、温存手術は難しい。全摘出になるので自分のお腹から移植をする腹直筋皮弁法を同時再建で行うのが良いのではないか、と提案されました。
前日のうちに、同時再建をするつもりでいたので、すぐに「先生にお任せします」と返事をしました。
乳がんの場合、胸がなくなって嫌だと言う方もいますが、私は悪いものを全部取ってでも生きたい。子どもはまだ小学生と中学生だし、死ぬわけにはいかない、そして子どもの成人式までは生きたい、そういう思いがありました。女性としての生き方よりも、今は母親としての自分を大切にしたいと思いました。
そのため、全摘出することにためらいはなかったです。人それぞれ考え方があるけれど、自分はこれでいい、と納得できました。
同時再建は形成外科の担当で、その後、説明を受けました。腹直筋皮弁法が、あまりにもすごくて、一瞬やめようかな、なんて実際は感じました。
腹直筋皮弁法は、お腹の腹直筋と脂肪、血管を乳房へ移植する方法です。下腹部の脂肪はすべて取り除かれますが、切腹のような大きな傷跡がお腹に残り、おへそも新たに形成してもらわなくてはなりません。先生に図を描いてもらいましたが、主人もすごすぎる・・の一言。
でも、決めたからやります、と形成外科でも答えました。
ここまで同時再建にこだわったのも、どこかのサイトに同時再建をしたら寿命が延びると書いてあった、ということと、辛いことを我慢して頑張れば神様がご褒美をくれるかも、という思いがあったからです。
その後、もう一度乳腺外科にもどり、脇のしこりから細胞を取りました。
そして手術は1か月後に決まったから、と言われました。いよいよ、すべてが始まったのだと実感しましたね・・。
それと同時に、どう両親に報告するかで悩みました。両親に話さない選択もありましたが、入院が2、3週間になることや子供の面倒を見てもらう必要があったため、話さないわけにはいかなかったのです。
子供は小学5年生と中学2年生の男の子でしたが、多感な時期。誰かにそっと支えてもらう必要があったからです。
病院へ結果を聞きにいった次の日、両親に話しがあると覚悟をもって実家に行きました。両親は離婚でもするのかと思ったようです(笑)
泣かれると思っていましたが、冷静に話を聞いてもらうことができました。その分、両親に辛い思いをさせている・・と感じ、申し訳なく思いました。
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