この記事は「乳がん体験 南さん編①医師の誤診?実は乳がんだった」の続ききです。
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次の日、地元では大きい病院である市民病院に紹介状を持って行きました。
乳腺外科は一般の診療科とは別棟にあって、柔らかな雰囲気です。
「何があったって、驚かない。
いろいろ調べてきたから大丈夫。」
そう思って診察に臨みました。
先生に超音波でじっくり診てもらうと、
「まず、検査をしていきましょう。」と一言言われました。
採血、検尿、血圧、身長体重、胸部レントゲン、マンモグラフィ、肺活量検査、心電図、最後にはバコラ生検(乳房に局所麻酔をして、しこりの一部を取って検査)を行いました。
「大丈夫。乳がんって言われる覚悟はできている・・。」
そう思いながら検査をこなしていました。
バコラ生検自体は痛くないのですが、麻酔が逃げたくなるほど痛い。柔らかな乳房に注射をするのですから。
しこりをとるバチンバチンという音を聞くたび、覚悟はできていても、「乳がん」という言葉が頭をよぎりました。
先生はいたって冷静で検査をしながら、
「CT検査や骨シンチグラフィーの予約は明後日に入れたからね。」とお話しします。
こうやって、少しずつ現実を受け止めていくのか、なんて思ったりもしました。
着替え後にマンモグラフィの画像を見せてもらいました。
明らかに白ものが大きく写っている。
「10か月前まで5㎜だったのに、こんなに大きくなるのですか?」と思わず聞くと、
「もし、それが事実ならとても進行が早いね。私は悪いものだとみています。」
とあっさり告知されました。
「あ、そうか、乳がんなんだ・・、そっかあ・・笑うしかないじゃん、私なら大丈夫。私なら乗り越えられる」そう思っていました。
そして看護師さんと今後の予定を話すために別室に行きました。検査のこと、手術のこと、しこりが大きいから全摘出になること、お金のこと・・。いろいろ話をしました。
検査に関して署名をする時、気づいたのです。
手が震えて、字が書けない。乳がんの現実を受け止めようと思いつつも、何で自分が?と納得できない自分がいる。そして、病気をどうやってみんなに伝えるんだ?と戸惑う自分がいる。
景色が変わる、というのはこういうことなんだ、とその時感じました。
自分でもどうやって家まで帰ったのか今でも思い出せません。
ですが、主人にはメールで伝えました。直接顔を見て話したら、きっと泣いてしまうと思ったからです。
主人も何となくそうかも、と思っていたようです。だまって病院に行ったことは怒っていましたが、病気に関してはさほど驚きませんでした。ただ、この日から私や家族の生活は変わったような気がします。
バコラ生検をした後の青あざを見たり、ズキズキとした痛みを感じたりするたび、切なくなっていました。
日を改めCT検査と骨シンチグラフィー検査(乳がんが骨に転移しているか調べるための検査)を行いました。人生初の造影剤を入れてのCT検査は、他の方のブログを見て知ってはいたものの、実際に本当に辛かったです。
急にカーッと熱くなり、あれ?漏らしちゃったかな?という感覚になり、手がしびれてくる。全身火だるまになったみたいで、くらくらしてくる。これが一番つらい検査だな・・と感じました。
検査を行った次の日は、乳がんかどうかが確定する日。
乳がんには様々なタイプがありますが、通常のタイプならいいな、トリプルネガティブ(女性ホルモンとHER2受容体がないタイプ)じゃなきゃいいな、と思っていました。調べた限り、トリプルネガティブは治療法があまりなかったからです。
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