はじめに
目の前に糸くずや黒い点が浮かんで見える――こうした症状を経験したことがある人は少なくありません。これは「飛蚊症(ひぶんしょう)」と呼ばれる現象です。特に中高年や近視の人に多く見られるもので、大半は加齢による自然な変化とされています。
一方、近年注目されているのが「水素治療」です。水素には強力な抗酸化作用があるとされ、健康や美容、さらにはアンチエイジングの分野で様々な効果が期待されています。中には、「水素で飛蚊症が改善した」といった声もネット上で散見されますが、果たしてその信ぴょう性はあるのでしょうか。
本稿では、飛蚊症の原因や水素の作用機序を解説しつつ、現在得られている科学的エビデンスをもとに「水素で飛蚊症は治るのか」を検証します。
飛蚊症とは?
飛蚊症は、目の前に浮遊物が飛んでいるように見える視覚現象で、実際には外界には何も存在しません。多くの場合、硝子体と呼ばれる眼球内のゲル状の物質が加齢に伴って変化し、濁りや収縮が起こることでこの症状が現れます。
生理的飛蚊症と病的飛蚊症
飛蚊症は大きく2つに分けられます。
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生理的飛蚊症
加齢や軽度の近視によって硝子体が濁ることで生じます。視力や眼の健康には大きな影響を与えず、治療の必要もないことがほとんどです。 -
病的飛蚊症
網膜剥離、硝子体出血、ぶどう膜炎などが原因で生じるケースです。この場合は、早急な治療が必要であり、放置すると失明のリスクもあります。
飛蚊症を訴える人の大多数は生理的なものですが、突然症状が悪化した場合や、光が閃くように見える「光視症」を伴う場合は、眼科の受診が強く推奨されます。
水素とは?その作用機序
水素(H₂)は、宇宙で最も軽く小さい分子であり、人体に取り入れられると体内を自由に通過し、細胞やミトコンドリアにまで到達するとされています。
水素の抗酸化作用
水素の最大の特徴は、活性酸素のうちでも特に有害とされる「ヒドロキシルラジカル(•OH)」を選択的に還元し、無害な水に変えるという作用です。2007年、Nature Medicine誌に掲載された日本の研究(Ohsawa et al.)では、水素ガスの吸入が脳虚血モデルにおいて酸化ストレスを軽減し、組織損傷を抑制することが報告され、注目を集めました。
それ以降、水素水、水素ガス吸入、水素風呂など、様々な形での水素摂取が研究されています。
飛蚊症と水素――仮説と可能性
水素が強い抗酸化作用を持つことから、「酸化ストレスが原因の一部となっている飛蚊症にも効果があるのではないか」という仮説があります。特に生理的飛蚊症は、加齢による硝子体の変性が主な原因とされるため、老化や酸化との関連が指摘されています。
では、実際に水素が飛蚊症に効果があるという科学的証拠はあるのでしょうか?
科学的エビデンスの検証
1. 動物実験・基礎研究
水素が目の組織に与える影響については、いくつかの動物実験が存在します。例えば、水素水の摂取や水素ガス吸入が網膜の酸化ストレスを軽減したという報告がある一方で、これが硝子体の濁りや飛蚊症に直結するという証拠は乏しいのが現状です。
また、硝子体そのものは代謝が非常に緩慢であり、一度濁った組織が自然に「クリアになる」ことは少ないとされています。
2. 臨床試験
現在(2024年時点)までに、「水素が飛蚊症の症状を改善した」という明確な臨床試験のデータは、査読付きの医学雑誌では確認されていません。
市販されている水素関連製品の中には、「視界がクリアになった」「飛蚊症が改善した」などの体験談が掲載されていることがありますが、これらはあくまで個人的な感想であり、プラセボ効果の可能性も排除できません。
3. 医学界での評価
日本眼科学会や米国眼科学会(AAO)などの専門機関は、現時点で水素による飛蚊症の治療を正式に推奨していません。また、水素療法はまだ臨床的な標準治療としては認められておらず、補完療法または予防的アプローチの一環とみなされるのが一般的です。
水素療法に対する注意点
水素そのものは、適切に使用すれば副作用の少ない物質と考えられています。しかし、以下の点には注意が必要です。
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過度な期待をしない:科学的根拠が不十分な段階で効果を過信するのは危険です。
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費用対効果の検討:水素水や水素吸入は保険適用外であり、長期的に続ける場合は高額になることがあります。
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他の疾患を見逃さない:飛蚊症の陰に重大な病気(網膜剥離など)が隠れていることもあるため、まずは眼科の診察を受けることが優先されます。
結論:水素で飛蚊症は治るのか?
現時点において、「水素が飛蚊症を治す」という明確なエビデンスは存在しません。水素が体内の酸化ストレスを抑える可能性はありますが、飛蚊症の主な原因である硝子体の濁りや構造変化を元に戻す作用があるとは言いがたいです。
ただし、今後の研究によって、予防的または補助的な効果が明らかになる可能性はあります。特に酸化ストレスや慢性炎症が関与する疾患への水素の応用は、今後の医療分野で注目され続けるでしょう。
したがって、飛蚊症に悩む人は、まず眼科医の診察を受け、原因を明確にした上で、補完療法として水素を検討するという慎重な姿勢が重要です。
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