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うつ病治療薬の副作用によって歩行困難となった女性の手記

この記事は50代の女性に書いていただいました。

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私は五十歳の女性です。二十一歳の時にうつ病の治療目的のために処方された抗うつ剤・デパス(エチゾラム)の副作用のために歩行困難になりました。さらに症状が進んで三十一歳の時に完全車椅子の生活を強いられる状態になりました。

身体障害者手帳を取得した現在は、車椅子ユーザー専用の都営住宅に入居し、ライターの仕事を請け負いながら、不足する部分は障害年金で補って、どうにか完全単身生活を送っています。

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近年まで処方制限がなかったデパス

私が主に処方されていたデパスは、厳密にいえばエチゾラムという「抗不安剤」。もとは当時言われていた「神経症」の治療薬として開発された薬です。

デパスはその当時、うつ病の治療や今でいう統合失調症の不眠時の薬として広く処方されていました。あとで詳しく触れますが、デパスは筋弛緩剤としてもよく使われるお薬です。

しかしながら、デパスは服用する上で、依存や断薬の際の離脱症状といった副作用がかなり高い頻度で現れます。エチゾラムは非常に依存性が高い薬です。それにも拘らずエチゾラム、つまりデパスが日本で「向精神薬」と指定されたのはごく最近の2016年のことです。

日本においては「向精神薬」に限り、関係法によって二週間を限度とする投薬制限がかけられると定められています。“特別なケース”という理由で医師が法を拡大解釈し、実際には一ヶ月に亘る長期間の投薬を平気で行っていることもままありますが、とりあえず向精神薬という指定がなされていれば法律上は規制があります。

しかし、デパスに限っていえば、医療の現場では向精神薬と同じ効果を狙った使われ方をされながらも、2016年の法改正まで単なる「処方薬」でしかなかったのです。つまり、2015年までは事実上一切の制限がなかったため、デパスは精神科のみならず普通の診療科でも、使い勝手がいいと安易に処方されがちな薬でした。

デパスは非常に依存性の高い薬でありながら、法的な規制が一切なされなかったがために、簡単且つ非常に安易に処方されていたというわけです。結果、デパス依存のために人生がめちゃくちゃになってしまった人を、これまでも私は特に精神科医療の現場で多く見てきました。

「うつは心の風邪」キャンペーン

私がうつ病だとされて精神科で治療を受けるようになったのは二十一歳の時です。一般的にうつ病とは「原因不明の気分の落ち込みが二週間以上継続する」というのが診断基準とされます。

しかしながら私が「うつ病」の診断を受けて治療に入った1990年ごろというのは、製薬会社が当時の厚生省とタッグを組んで「うつは心の風邪」キャンペーンを大々的に討っていた時期です。

当時の「うつは心の風邪」という謳い文句は、ちょうど今の「そのミス、大人の発達障害かもしれません」の製薬会社によるキャンペーンによく似ています(考えてみれば同じ会社が展開しています)。

以下お話する私の体験談を読まれたら、読者の皆様も昨今の「発達障害は薬で治療できます」キャンペーンに対しても胡散臭いものを感じたり、もしかしたら恐怖感を持たれるかもしれません。

うつも発達障害も…どちらのキャンペーンも製薬会社と一部の精神科医が動いているという根っこは同じです。

「うつ病」になった経緯

精神科のクリニックを訪れたその日のうちに、私は「うつ病」との診断を受けました。

当時の私は国家公務員として奉職したばかりでした。職場には女性の正規職員が殆んどなく、私は今の感覚では考えられないレベルのセクハラやパワハラに遭ってばかりいました。

私は結婚した直後でもありましたが、入籍の時点ですでに夫とは夫婦仲が悪く、夫からの暴力が絶えませんでした。よく「悩みを相談できる方とかいらっしゃらなかったのでしょうか」と聞かれますが、私の結婚した理由というのがいわゆる「毒親」からの逃避。つまり、単に私にとっての「結婚」はただ機能不全家族と絶縁するための手段でしかなかったのです。

平成になったばかりの頃は、今以上に精神科医療への偏見があった時期だと思われる方も多いことでしょうが、その辺りの抵抗感については、私の結婚した相手男性というのがたまたま今でいう統合失調症の患者だったために、夫の通院するさまや服薬する様子を日常的に見ている関係で、私にとっては精神科への敷居が低かったのです。

私自身、少女期の虐待や学校でのいじめが原因でメンタルに不調をきたし、中学生の頃から精神科への入退院経験がありました。それら少女期の経験から、正直に言えば「精神科に行けば現実から逃げられる」という一種の甘えが心にあったのも事実です。

同様にその頃の風潮として、職場でも原因不明の不調が続くと「キミ、疲れてるみたいだからちょっと精神科を受診してみないか」と勧めることこそが、部下を思いやる立派な上司であり、社員の心身の健康を慮れる…今でいう「ホワイト企業」のあり方だとされていました。結果、精神科医療はかつてに比べぐっとハードルが低くなったという社会的認識がなされていました。

過剰な医療への依存

私も、そして当時のうつ病キャンペーンに載せられていった多くの患者さんも自身のうつの症状=精神疾患が、家族の就職や縁談に影響するなどの家庭内のトラブルに発展する「大ごと」に発展してはいけないと危惧し過ぎていたように感じます。

本来であれば休息を十分に取れば回復するレベルの「うつ状態」の人も、安易すぎるほど安易に精神科を受診し過ぎた結果、うつ病の「治療」によって人生を狂わせてしまったように個人的には感じています。

つまり、本来は治療を要さない人までが、精神疾患への無知からくる恐怖によって、過剰なほどうつの治療に駆り立てられていったのだと私は思います。

私の例を落ち着いて考えれば就職したばかりの職場で仕事に馴染めずハラスメントに遭っていた、結婚生活がうまくいっていなかった。私が気分的に落ち込む原因ははっきりしているわけです。私の場合はうつの治療をし、依存性の高い薬を処方されるよりも、むしろ職場や家庭内での人間関係その他を調整するほうが先だったと思います。

しかし、私は人間関係の調整よりも精神科医療へと結果的には「逃げてしまった」のです。

精神科で行われていた「うつ病治療」の実態と悲惨な結末

最初に行った精神科クリニックで「うつ病」と診断された私は、三環系抗うつ薬トリプタノールの他、前出のデパスが出されていました。本来うつの患者さんにもっともよく効くといわれているトリプタノールが私には全く効きませんでした。

三環系抗うつ薬は激しい副作用が出る薬です。(本来「うつ状態」なだけで「うつ病」ではない)私はトリプタノールが全く効きませんでした。

最近知ったことですが精神科医はトリプタノールが効くか効かないかで、患者が本当にうつ病なのかどうか判断しているのだそうです。つまりトリプタノールが効かなかった私は「うつ病ではない」として診断名の見直しがなされるべきだったのです。

一応「うつ病ではないらしい」とされた私に、最終的に下された診断名は「精神分裂病」つまり今でいう統合失調症でした。前出の通り、虐待など家庭内の問題によって精神的に不安定になったために、中学生の時に精神科に入院したことがありました。その時にも私は精神科医に「精神分裂病の疑い」と診断されていたので、結局それを言質する形になってしまいました。

以降四十歳の時にさまざまな心理検査などを受けて病名が完全否定されるまで、私にはずっと精神分裂病もしくは統合失調症という診断名がついていました。

うつの話に戻します。抗うつ薬が効かない私に対し、精神科医は以下のような対応に出たのでした。

トリプタノールが全く効かないということで、私にはさらに同じような効果を持つ三環系抗うつ薬が重複で処方されました。しかし、本来うつ病ではない私は、うつの薬が幾ら増えても病状が改善しません。それでさらにで即効性のある抗不安剤、デパスもバンバン増量されました。

「うつ病」治療に処方された薬の副作用

結局、多量の精神剤の副作用によって全身の筋肉が激しく弛緩し、私は歩けなくなってしまいました。

歩けなくなっただけではありません。口元の筋肉が弛緩してしまった私は、嚥下障害や構音(いわゆる言語)障害が表出しました。うまくモノが飲み込めない私は、未だに刻み食やとろみ食といったお年寄りの介護食のような食事しか食べられません。

また、言葉がスムーズに話せなくなってしまったため、電話応対を伴うオフィスワークには従事できなくなりました。

同じように膀胱の辺りの筋肉までも弛緩してしまったので、私は二十代終わりから失禁が見られるようになり、おむつを必要とする生活になりました。

他にも細かいことであれば、エチゾラムによる筋弛緩の副作用のために生じた障害はたくさんあります。しかも、これらの症状や障害は私に限らず、当時の精神科医療を受けていた患者さんであれば(程度の差はありますが)誰にでも表出したのです。

本来は生活のクオリティを回復させるつもりで開始したうつ病の治療が、結果的には日常生活にかなりの深刻な悪影響をもたらした例について、現実には枚数に暇はないといってもいいほどだろうと感じています。

薬を服めば服んだだけ症状が悪化!?

私は「うつ病」と診断されたのち、公務員の職を失って田舎の精神科病院の閉鎖病棟に入院しました。結論から言えば、入院した病院での6人部屋にいた「うつ病」の患者のうち、私を含む5人が歩けなくなって車椅子生活となりました。

残るひとりは私より一つ年下の女性でした。二十代半ばで薬の副作用から認知症様の症状を呈し始め、三十歳になる頃には常時介護が必要な状況に陥りました。知り合った頃は普通の女子中学生だったはずの彼女は、しかし四十八歳の現在、認知症老人のための入所施設で生活しています。

ともあれ、どの患者さんも出されているお薬をきちんと服用すればするほど、なぜかみんな具合が悪くなってしまうばかりでした。常識的に考えれば、医師が処方した薬を正しく服用すれば逆に病状が悪くなるなんてちょっと理解できない気もするのですが、事実です。

入院した当初は、どの患者さんも涙もろく易怒性が高いなど、精神的にやや不安定ではあるものの、ものすごく「おかしい」といった感じではありませんでした。会話も当たり前にできましたし、食事も普通にとれました。身辺自立も年齢相当に図れていました。

しかし、入院期間が長くなればなるにつれて、当然服薬期間も伸びるわけですが、きちんと医師の処方通り服薬しても薬の効果が出ないということで、私も含め、みんな処方される薬の量が増える一方でした。

薬の量が増えていくにつれて患者はそれぞれ次第に会話が難しくなり、食事が摂れなくなったり、薬の副作用で満腹中枢に異常をきたして過食になったり、あるいは拒食症になる人もいました。

先に挙げた通り、私は薬のせいで嚥下能力に異常が生じ、普通の食事をとること自体ができなくなりました。デパスなどエチゾラム系の薬には筋肉を弛緩させるなどの副作用があるので、ものを飲みこむことができなくなる患者さんはとても多いのです。

身体だけではなく心をも蝕むデパスの副作用

私の場合、薬のせいでまずは判断力が著しく低下しました。感情が働かないというか、自分の頭で考えることができなくて…もう指示されないと、風呂に入るとか着替えるとか、もうそういう一連のことに対しできないのです。

また薬によってただ精神的にイライラと落ち着かなくなってしまった私は、病棟のプレイルーム内をうろうろしていましたが、そういう状態を呈するのは私だけではありませんでした。患者さんの多くは程度の差はあれど薬のせいでイライラし、落ち着かなくなっては無為に病棟をうろついていました。落ち着かなくなる症状はアカシジアと呼ばれていて、うろうろしたくなるのも薬の副作用の一種です。

患者は身体的に落ち着かなくなってうろついてしまうだけではなく、精神的にも高揚しがちでした。抗うつ薬といえば単純にいえば気分をアップさせる薬物なのでハイになるのは当たり前です。当然ですが、本来は「うつ病」ではない患者さんに抗うつ薬を処方すれば処方量が決して多量じゃなかったとしても、患者さんがハイテンションになって気分的に不安定になってしまい、自分の意思では暴言を抑えられなくなったり、他の患者さんや医療スタッフに暴力を振るってしまったりということも起こり得るのです。

精神科医療の闇

興奮状態の患者さんに対しては、対応のひとつとして一定のルールこそありますが、精神科の医師は患者の行動制限や身体拘束を法的に認められています。

私自身は一番多かった行動制限として、保護室と呼ばれる施錠される檻のある隔離室にそれこそ頻繁に入れられていました。興奮したら隔離室に入れられてしまうというのではなく「病状が悪くなったら一定のルールの元、隔離してもいい」と精神保健福祉法で決まっているのですが、医師によっては法を拡大解釈しているのか、懲罰の意味で患者を保護室に入れるなどは普通に行われていました。

興奮したら保護室に入れる、というのはまだマシな処遇です。現実には薬をきちんと服薬しなかった、医療スタッフに対して反抗的な言動をとった、といった理由でも、他の患者への見せしめの意図で隔離されることは当たり前でした。私自身の処遇ではないのですが、実際にあった一番変な保護室行きの理由として「入浴時間を守らなかったから」というのを知っています。

精神科病院に入院したまま、薬の副作用のために心臓の機能が低下して亡くなった方もいます。当時私が入院していた精神科病院はベッド数の定数が156床だったと記憶していますが、毎月平均して誰かひとりは病院で亡くなって「死亡退院」扱いになっていました。

そもそもが慢性期の精神疾患を扱う病院であり、本来であれば死亡に至るほど全身状態が急変するような状態の患者は殆んどいないはずの医療機関において、156床というベッド数から鑑みれば、毎月ひとりが亡くなるのは決して少なくはない死亡退院数だと感じます。

私と同じ病室にいた(亡くなった)患者さんのおひとりは「うつ病」と診断され、そのまま「自殺を防ぐために」という理由で強制入院の一種である医療保護入院扱いで精神科病院に入院されたのです。彼女は結果的には入院後一度も自宅に帰ることがありませんでした、というよりできませんでした。

介護は綺麗事ではなく、患者本人が(薬の副作用によって)歩けない状況に陥り車椅子生活になった、あるいは普通の食事が摂れなくなった、おむつが必要になった…そんな状況であれば、患者さんを連れて帰りたくても連れて帰れない家庭が大半だと思います。

やはり一緒に治療している病院仲間が、どんどん症状を悪化させ、生命を落としていく過程が言葉では言い表せないほど堪らない記憶です。

デパスの副作用をググっても欲しい情報が得られない

当時、どんどん処方量が増えていく薬に、回復の実感どころか日毎におかしくなっていく自分しか感じていませんでした。

回復どころか症状悪化しか実感し得なかった私自身は、うつの薬を飲み始めて10年後、三十一歳の時から車椅子が必要となりました。

今思うと、医師の処方を信じて服用した薬の副作用で歩けなくなるなんてとても怖い気がするのですが、デパス自体本来は筋弛緩薬としても使われる薬なので、依存状態に陥って多量服薬が続けば全身の筋肉が弛緩して歩けなくなることは誰にでも起こり得ます。

現在デパスは依存の問題や、断薬の際の激しい離脱症状ばかりが問題点として取り沙汰されていますが、本当に怖いのは筋肉が弛緩することによって身体的な障害をきたす点なのではないかと私は考えています。

先日「デパス」で検索エンジンを掛けましたが、副作用の実態が掴めませんでした。これといった研究結果も事例もなかなか出てきません。何か裏で力が働いているのでしょうか…そんな穿った想いに至りました。

「そんな処遇をして患者家族から医師や病院への苦情はなかったんでしょうか?」と、一般の方から尋ねられる場合もあります。

なかには患者に対する処遇について家族からのクレームもあったようです。中学生や高校生の患者であれば、親御さんが病院と話し合った上で本人を連れ帰って退院、という場合もあるにはありました。

ただ…どんなに劣悪な療養環境であっても、患者家族が「本人を預かってくれてありがとう」と逆に病院に感謝してくれるのが、精神科という診療科の特徴であり闇だろうと思います。

むしろ他の家族への悪い影響が懸念されるから本人を退院させないでくれ、一生涯病院で預かってくれという患者家族も多いのが精神科医療の真っ暗な現実です。

閉ざされた精神科医療の裏側

精神科病院が乱立する以前というのは今でいう統合失調症の患者さんが何よりの医療報酬上のターゲットだったわけです。

その頃は統合失調症の患者さんの囲い込みにどこの精神科開業医も躍起でした。ある程度統合失調症の患者を押さえたところで、新たな市場開拓としてうつ病の患者さんをゲットするのが精神科病院の目標になっていったわけです。

それが現在では例えば発達障害の早期発見、早期治療だとか若しくは認知症の早期発見、症状の進行を遅らせるための治療開始だとか色々開拓をしています。

ですので、医療側の考えを十分考慮したうえで、もし、服薬する場合にはたくさん情報を集め、納得してから飲むようにしてください。

[参考記事]
「強い抑うつ剤に変わったせいで10キロ太り、顔の輪郭が変わりました」

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