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向精神薬の副作用で骨折。緑色の猿や妖精が空を飛ぶ幻覚も

今回の記事は認知症の母を介護している男性に書いていただきました。認知症であるのに「老年性うつ」と心療内科で誤診され、最終的には薬の副作用で転倒して骨折。その経緯を書いていただきました。
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深夜に覚醒して、自分がどこにいるのかも分からず、携帯を取り出しデタラメな番号にかけ続けていた母。ついに渋々ながら本人も納得して心療内科に通うことになりました。下された診断は「老年性うつ」でした。長年わずらっていた睡眠障害、気力の低下といった症状はすべて「うつ」に当てはまるそうです。ただし、受け答えははっきりしているので認知症は大丈夫とのことでした。

認知症ではないと聞いて安心した一方、本当だろうかという疑念もありました。以前、救急車で運び込まれた整形外科の院長は「腰痛を理由に周囲を振り回すことで満足感を得ている。赤ちゃんが泣くのと同じ「子ども返り」。これは認知症の初期症状です」とおっしゃっていました。あまりに的確な指摘すぎて、私の心にずっと突き刺さっていました。

「認知症はない」と判断した心療内科の先生を「誤診」だと責めるつもりはまったくありませんが、おそらく認知症の知識が少ないので判断できなかったのだと思います(参考記事「認知症なのに「うつ病」と間違われる確率は」)。もちろん、その場面で、整形外科の一件を持ち出し、認知症の精密検査をお願いしなかった私も悪いです。認知症を疑い続ける一方で、認知症だったら困るという逃げの姿勢があったのですから。

「眠れない」と母が強く訴えたこともあって、心療内科の先生はデパスやレンドルミンといった抗不安薬、睡眠導入剤を処方してくれました。多くの精神科医は最初、少なめの処方で様子を見るのだそうですが、この先生は患者(母)の訴えのまま、いきなり強めの薬をたくさん出したことにも疑いを持つべきでした。

のちに、この薬の量が問題で、母は骨折をしてしまうのですが、その話は後ほど。

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緑色の猿が飛ぶ

薬のおかげで母の寝つきは格段によくなりました。一方、困った問題も生じてきました。真夜中、いきなり大声を上げて起き上がるのです。大声の内容は様々でした。意味不明だったり、罵声だったり。私に対する暴言も含まれていました。

朝になって意識がしゃっきりしてから尋ねると、幻覚を見たというのです(向精神薬のデパスを多く飲むと幻覚の副作用があると後で調べて分かりました)。「緑色の猿」や「妖精」といったものがベッドのまわりを飛び回るので、つかまえようと大声を出したり、ベッドから立ち上がったのだそうです。

幻覚が「私」であることも多いそうです。その時は思い切り叱りつけてやるのだとか。私一人で母の世話をしていましたから、不満はすべて私に向かってくるのでしょう。妻も同居していましたが、母は自分の身辺に一切寄せつけようとしませんでした。

次の診察で幻覚の話をすると、先生はさらに薬を追加しました。てっきり減薬したり、薬の種類を変えるのかと思っていましたが、幻覚に対応する薬をプラスしたのです。母の服薬量はますます増えました。処方が増えたものの、夜間の叫び声や、何度も覚醒する傾向はあまり減りませんでした。

そして事故が起こります。ふらふらとベッドから起き上がろうとして転倒。左足大腿骨のつけ根を骨折してしまったのです。すぐに救急搬送。ボルトを入れる手術が行われました。

手術後、一日中病院のベッドで寝ているようになると、母の状態はさらに悪化しました。日中でも自分がどこにいるか認識できなくなり、喋り方ももうろうとして何をいっているのかわかりません。

歩行訓練が始まった時、第二の事故が起こります。明け方、ベッドから立ち上がろうとして転倒。今度は右足大腿骨のつけ根を骨折してしまったのです。夜間はナースコールをする決まりになっていましたが、母には理解できていませんでした。「親戚が見舞いにやってきたので、挨拶しようとして立ち上がった」のだそうです。もちろん幻覚です。

整形外科医もあきれた薬の量

せっかく左足が治りかけていたのに、今度は右足の手術、またもリハビリ。入院期間が伸びたため、母は救急搬送された病院から、リハビリ専門の病院へ転院することになりました。

新しい担当医は、母の診療情報を見るなり驚きの声を上げました。

「薬が多すぎだよ! これじゃ転倒してあたりまえだ」

心療内科で処方された薬の鎮静作用、入眠作用があまりに強かったため、母は歩くこともままならず、日中でも意識がもうろうとしていたのです。やはり簡単に薬を増やし過ぎていたのです。救急搬送された病院では処方箋の見直しなど行いませんから、第二の骨折事故を招いてしまいました。

リハビリ病院の先生は整形外科医でしたが、母の抗精神剤の量を半分に減らしました。すると、たちまち母の意識はしゃっきりし、日中は普通に会話できるようになりました。夜間だけは事故を防ぐため拘束をすることになりましたが。

心療内科の先生は後に、母の後見人となる時もお世話になったので、あまり批判的なことは書きたくありません。ただ、もう少し慎重な処方であったなら事故は防げたかもしれないという思いは消えずにいます。

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