この記事は「乳がん体験記 佐藤さん編①乳がんの発見とマンモグラフィ検査」の続きになります。
…………………体験記はここから
ガンかもって言われて2週間後、クリニックが予約をしてくれた時間に紹介状とマンモグラフィーの画像を持って大阪府立成人病センター病院へ行きましたが、1時間は待ちました。
待合室で隣に座っていた方と話したのですが、「大阪府立成人病センターは乳癌手術で定評のある病院と噂を聞いたので、遠くから来院しました」と言っていました。
その後、診察室に呼ばれたのですが、担当医はたくさんの患者を診ているせいか淡々とした感じの人でした。
まず、ガンが良性か悪性かを調べるために穿刺吸引細胞診検査(エコー検査をしながら注射器を刺して細胞を採る検査)を2カ所しましたが、かなり痛かったです。
もっと、他に検査をすると思いましたが、これで診察はおしまい。
その後、待合室で看護師さんから「手術の前に行なう検査を今日行なう」という説明を受けたのですが、私は採取された生検検査で手術をするかどうか決めるのかと思っていたので、少し戸惑いました。
初めに「入院前エイズ(HIV)抗体検査について」の同意書にサインをし、その後手術のための血液検査4本、止血検査、エコー検査、肺活量、酸素マスク装着時のテスト受けました。
それから1週間後に穿刺吸引細胞診検査の結果を聞くために大阪府立成人病センター病院を訪れましたが…..担当医には次のように言われました。
「残念ながら結果は悪性の腫瘍でした。」
医師は告知された多くの患者がするリアクションが苦手なのか、
「この手術の日程と説明文書を読んでください。この後、看護師から入院の手続きについて聞いてください」と言っただけだった。
この後、聞きたいことがありましたが、医師は患者一人だけに時間を割くわけにはいかないためか、パソコンの電子カルテに向いた顔が私に向くことは診察室を出るまでありませんでした。
説明文書には私の名前と病名と病態の説明があった。
〇病名は右乳癌
〇検査の結果、乳腺にできたしこりが乳癌によるものであること
〇病態(ステージ)は空欄
せめてステージくらい聞けば良かった。
やはり家族と来院すれば良かったと後悔しました。
その後、看護師さんから『外科の手術入院までの診療計画書』を渡され、持ってくる物、手術に必要なものなどの説明を受けている途中で涙が止まらなくなってしまった。
10日後の手術、悪性の乳がん、入院中の子供のこと、仕事のことをどうするか?
何も考える時間を与えない、考えさせないために詰めたスケジュールなのだろうかと疑うほどペースが速い。
もう自分の頭の容量をオーバーしている、容量があったとしてもガンで手術する現実はきっと何処にも収まらなかった。
死ぬとは思わなかったが、出られない大きな不安に包まれて、自分の周りだけ色も音も無くなってドラマで見たようなモノクロの世界にいる感じでした。
手術のことは入院後に家族同席で詳しい説明があるということで、家族に休みを取ってもらわなければいけないのに入院の日だけが決まっていなかった。
後日、病院から入院の日を知らせる連絡があったが、それは4日後でした。
入院までの間、色々な思いが駆け巡りましたが、それは「しこりが大きくなっていたことで早く治療する必要性はわかりますが、もっと私が納得してからの手術でも良いのではないか」ということです。
手術してくださる医師とトータルで3分も話していないのって普通なのだろうか?。
セカンドオピニオンを受けずとも冷静になれる時間が欲しかった。
自分の治療なのに自分の気持ちは切り離されて病院側のベルトコンベアに乗って流されているだけだったので、「時間をください」と言わなかった自分を反省しています。
……………………………体験記はここまで
続きは
「乳がん体験記 佐藤さん編③乳がんでの入院とステージの告知」
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