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精神薬の副作用により入院。そして拘束され治療され後遺症は今も

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15歳の娘は、現在高校1年生です。
中学1年の時に統合失調症と診断され、3か月間入院しました。
入院に至ったきっかけは、中学になじめなかったことでした。
小学校時代の仲良しグループの大半が中学受験したため、あまり親しい子がいない環境でのスタートでした。
入学早々、不眠や勉強に手がつかない、などのサインが出たので、担任の先生と相談しながら1学期は何とか終えました。
夏休みに、自分から志願して近所の心療内科にかかりました。

薬の副作用が強く出て、とうとう入院

当初の診断は重症のうつ病、ということで、抗うつ剤とベンゾジアゼピン系の抗不安剤を投与されました。
すると、一日中もうろうとして、話すことが支離滅裂になったのです。
食欲もなくなり、薄いおかゆとすりおろしたリンゴくらいしかのどを通らない状態が何日も続きました。
薬を減らしても変えても症状は改善せず、2か月ほど経った時に、入院を勧められました。
入院先での診断は統合失調症でした。
支離滅裂な話は抗うつ剤を飲むようになってからだとこちらが説明しても、聞いていただけませんでした。
また、「陽性期(幻覚妄想が激しく、行動の抑制が効きにくい時期)の初期に当たるので、刺激が少ない環境で過ごしてもらいます」と言われ、いきなり保護室に入れられてしまいました。
保護室から出るまでは面会も謝絶されました。
翌日、「暴れるので拘束をかけたい」と電話があり、慌てて病院に夫婦で行くも、子供に合わせてもらえる訳ではなく、ドクターからの説明を聞くばかりでした。
入院前は、確かに意思の疎通は悪くなっていましたが、衝動的な行動はなく、行動面では問題はなかったのです。

3週間後、ようやく娘に会えた時のショックは、一生忘れられないでしょう。
目が吊り上がり、眼球が左右に動きません。
動くものを追おうとすると、首ごと動かさなければなりませんでした。
口からよだれが流れ続け、口元は皮膚がただれて出血していました。
呂律も回らず、何を言っているのかも聞き取れません。
もちろん立ったり歩いたりするのも困難な状態でした。
こんな状態でも、担当の医師によると「幻覚妄想が激しくて薬はこれ以上減らせない。」の一点張りです。

その後しばらくして、病院から、「また拘束をかけたい」という電話がありました。
今度はCKという酵素の値が危険なほど高くなったので、治療のために点滴をするから、という理由でした。
「ただの点滴なら拘束する必要はないのではないか」と聞いても、「精神科の場合、点滴時には拘束する決まりになっているから」と聞き入れてもらえません。
自宅で調べたところ、CK値の急激な上昇は、心筋梗塞、横紋筋溶解症、悪性症候群などの、命の危険が高い副作用のリスクを伴う状態のサインでした。
しかしこの重篤な事態が、結果として大きな転機になりました。
CK値に影響を与える薬を全部切ったところ、言葉での意思疎通が可能になったのです。
症状が落ち着いたのを見て、薬を減らしていくことに成功し、3か月目が終わる時には、家に帰ってこられるほどになりました。
やはり、薬の副作用で意思疎通も出来ない状態に置かれていたのだと改めて認識しました。
退院時の薬は、抗精神病薬2種類、ベンゾジアゼピン1種類、副作用止めの抗パーキンソン病薬2種類、抗てんかん薬(おそらくは気分安定剤として)1種類、便秘薬2種類でした。
抗精神病薬の強さを図る目安としてよく使われる「クロルプロマジン換算値」というのがあるのですが、それによると1400mg/日。
ちなみに1000を超えると多量(多剤)ということになり、重篤な副作用が出やすいとされています。
また、副作用を止めるために使われている薬も、認知機能や衝動性のコントロール力などの低下を招くことが知られている薬です。
退院までに相当薬を減らした、と聞いていましたから、入院時の服薬はどうなっていたのか、と、思うとぞっとします。
処方されていた抗精神病薬は2種類とも、副作用で肥満するものでした。
入院中にすでに洋服が合わなくなるほどに太ってしまっていましたが、体重は最終的に、入院前の15キロ増まで行きました。

減薬での禁断症状

退院後は別の病院にかかり、減薬と環境調整を行いました。
減薬の過程で「明らかに統合失調症とは違う」との医師の診断を受け、今では抗精神病薬と抗パーキンソン病薬は飲んでいません。
しかし、減薬の過程は本当に大変でした。
減らすと一時的に精神状態が悪化し、数日で落ち着くのですが、悪い時には包丁を持って暴れたり、マウスのコードで私の首を絞めたり、自宅の庭の花壇の花を片っ端から抜いてしまったり、と、目が離せない日が必ず来るのです。
それでも薬を減らせば減らすほどコミュニケーションが良くなり、生活リズムもついて、本人が一人でできることも増えて行きました。
また、太りに太っていたのが、ある時期を境に痩せ始め、今では健康的な体型に戻っています。

学校へは、中三の2学期から復学しました。
といっても周りの子は、みんな高校受験モード。
教室には入れず、保健室や相談室で過ごしたままの卒業となりました。
今は通信制高校に通いながら、家庭教師を利用して、中学の勉強をやり直しています。
勉強のやり直しの過程で気づいたのですが、小学校の勉強が所々抜けています。
元は優等生で、通っていた小学校は過半数が中学受験するような環境だったのに、その中でも「頭が良い」という評判だった子供です。
勉強に限らず、入院前のものも含め、記憶があちこち抜け落ちていて、日常生活でも「あれ?」と思うことが多いと言います。
記憶することが難しくなり、日常生活でも勉強でも、同じ間違いをいくら繰り返しても、修正するのが大変になりました。
また、薬の調整がうまく行かないと、副作用で何時間も家の中をただ歩き続け、他のことが一切できなくなってしまうのですが、これは薬の量がほんの少しになった今でも、まだ残っています。

親の責任

統合失調症は、精神疾患の中でも比較的患者数が多い病気で、薬物治療も発達しています。
薬でうまくコントロールして、学校に通い、仕事についている患者さんも少なくありません。
だから、娘が受けてきた「治療」も、量が適切だったかどうかはともかくとして、全面的に否定する気はありません。
ただ抗精神病薬は、誤って投与すると、長く続く副作用に苦しむ薬です。
統合失調症かどうかの判断は、娘の場合、非常にずさんでした。
「抗うつ剤が効かないようだから、抗精神病薬を投与してみるか」に近いものがあったのではないか、と、今では思っています。
繊細に扱わなけらばならない、成長期の脳を薬で犯してしまった責任の一端は、確かの親である私たちにあると思います。
そこはいくら悔やんでも悔やみきれません。
歴史が好きで学校の先生になりたい、という娘の夢は、恐らくもう叶わないでしょう。何よりも失った思春期は、もう戻ってはきません。
それでも、子供の心や脳を扱う医療が、こんなにずさんで危険なものであることには、憤りを禁じ得ません。同じような犠牲者が二度と出ないように、私たちの体験を、伝えたいと思います。

[参考記事]
「向精神薬の副作用で包丁を持って自分を切ろうとしました」

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