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胸の張りのために飲んだ薬の副作用で視界が消える(目が見えない)

この記事は40代の女性に書いていただきました。

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 もう10年も前の話なのに、あの時の恐怖は昨日の事のように覚えています。断乳をして半年が経った頃、胸の張りとしこりを感じ、あまりの痛さに乳腺専門の病院を受診しました。

 検査をしても異常がなかったのですが、念のためにと大学病院で再検査を受けるように紹介状を書いてもらい受診しましたが、大学病院の医師からは「ここは病気の人が来るところであり、あなたは適応ではない」と言われました。

 もう、どうしようもなくなってしまい、帰りに大学病院から歩いて5分もかからない女医さんのいる産婦人科を受診しました。胸の痛みは変わらずでしたが、「薬で様子をみましょう」と「カバサール」という薬が処方されました。この薬はプロラクチンというホルモンの分泌を抑える際に使われる薬です。

 処方箋を持参した病院近くの薬局からも特に副作用の説明もないまま、すぐ内服するようにと指示がありました。子供も小さく早くよくなりたいと思っていた私は指示に従いすぐに内服し、駐車場に止めている車へ向かいました。

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副作用による酷いふらつき

 向かっている途中、車の駐車場の地面が揺れるくらいのふらつきを感じ、その場でしばらく動けずにいました。地震の振れが酷くて、しゃがみ込む感じです。

 後から思えばこの瞬間が副作用の始まりでしたが、その時は育児と連日の病院通いによる疲れだと感じていました。体調悪いのなら早く帰らなくてはと高速道路を使って40分ほどの家路を急ぎました。帰りの道路上で事故を起こさないで良かったと今でも思っています。

 その日は帰ってきてからとにかく体がだるく、何もしたくないと思いながら、子供のご飯とお風呂だけは入れました。20時過ぎに子供を布団に横にしながら自分も体を休めていました。ちょうど夫が帰ってきて今日の出来事を話している時、急に視界が狭くなり、放送終了したテレビ画面のように一瞬にして視界が消えて見えなくなりました。

 恐怖を感じた私は頭の中で何かが起きたのかもしれないと感じ、夫にすぐ救急車を呼ぶようにお願いしました。初めは信じられないと思った夫が「本当に救急車を呼んでよいのか」と聞き、とにかく早く!という私の声にただ事ではないとやっと理解したようでした。

 救急車の中で意識だけはしっかりあったので救急隊員からいくつも質問をされました。めまいでぐるぐる天井が回る?それとも、ふらつく?と聞かれ、どちらでもないと答えると「おかしいなあ もう一回聞くけど」と同じ質問をされました。メニエル病と勘違いされたようでした。

 運ばれた国立系の病院でも私の症状から病名がつかず。その頃、私はカバサールの副作用かもしれないと思っていたので、「いつもと違う事として昼に内服した薬がある」と伝えましたが、CT上は異常なく、「副作用情報にカバサールは挙がっていないので違うと思う。点滴をするけど終ったら帰って明日処方された病院に連絡するように」と言われただけでした。

 しかし、点滴が終っても症状は変わらず、目が見えない事が不安で精神的に息苦しさを感じ始めていました。受診するとしたら耳鼻科だと言われたこともあり、その足でタクシーに乗車して、高速を使っても30分以上かかる、夜間もやっている耳鼻科に行く事にしました。

 自分の身に起きている事がわからず、どうなってしまうのか分からなかった私は携帯から実家に電話をし、これが最後の電話になるかもしれない事や今までの感謝を親に伝えました。

 夜の耳鼻科は混んでいて、かなりの時間待たされました。自分の番になり、視界が見えずらい事で目を細めながら、ふらつきながら、部屋の中に入っていきました。

 それを見た医者は大げさだと思ったのか「あんたは歩いているからいいよ。私は脳梗塞をやったけど歩けなかったよ」と甘えるな!と言いたげでした。カバサールを飲んだことも説明しましたが、できる処置はないと診察時に言われました。ここでもカバサールの副作用のせいではなくメニエル病だと思われたようでした。

 納得できない私は市内でもさらに遠く離れた大きな病院にその病院から電話して診察ができないかと最後の望みをかけてみましたが、電話に出た医者に今話せているということは緊急ではない事、受診しても何もできないと言われました。

 先ほど担当した医者がそんな私をちらりと見て、帰っていくのが見えました。女性の看護師さんが「自分もメニエル病を繰り返しているから辛さがよくわかります。辛いですよね。でもよくなりますよ」と声をかけてくれましたが、普通であれば受け止められる言葉も不安だらけだったので素直に聞けず、「やっぱり誰も分かってくれない」と思っていました。

 その日はあきらめて帰りましたが、寝てしまうと一生起きれないかもしれないと思い、その夜は一睡もできませんでした。

 次の日の朝、薬を処方した病院が休みだった為、地元の耳鼻科を受診しました。車椅子に乗り、聴覚検査などいくつかの検査をしましたがどれも問題なく、「薬の副作用情報には載っていないが副作用で間違いないでしょう」と診断され、やっぱりなという気持ちと分かってもらえたという気持ちでいっぱいでした。

 その日は 家事も何もできない私を心配して実家から母親が来てくれました。

 次の日、カバサールを処方した産婦人科を受診しました。「薬が体から消える一ヶ月間はこのままの状態が続くでしょう」と言われ、点滴しかできることがないとも言われましたが、何もしない事が一番嫌だったので、毎日母の付き添いで一週間くらい点滴の為だけに受診していました。

 現実に視界の一部が欠けているように感じていましたが、カルテには幻覚・幻聴と記載されているのを見てショックを受けたのを覚えています。

 医者から入院しての治療も提案されましたが、子供が小さかった事や視界が悪くても何がどこにあるのかが分かる家の方が安心して過ごせると判断して 入院ではなく外来での処置をお願いしました。

 ただ、家で何かできるわけではなく、体のだるさやこのまま何も見えなくなるのではないかという恐怖心がいっぱいでした。医者からの説明があったように2ヶ月は視界が元のように戻らず、上ろうとする階段が何重にも見え、必ずすねをぶつけていました。その後は目は通常通り見えるようになり、胸の張りなどもなくなりました。

 今でも「処方した薬の量が多かったのかも」そう医者が発した言葉が耳に残っています。すがるように受診した患者はこれからも医師に言われた通りの薬を内服し、治療するでしょう。あの頃より、薬の副作用についての理解が深まっているようには見えませんので、不安は残っています。

[参考記事]
「男性の私が個人輸入の女性ホルモン剤を使った結果、大変なことに」

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