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精神科病院の人権侵害は過去の話ではない。過剰な投薬で行動を抑制

 

過日、ネットサーフィンをしていたら、このようなトピックを見つけました。

精神科の「隔離と薬漬け」の末に亡くなった、38歳男性と両親の無念

(現代ビジネス 2018年12月18日 6時0分)

広島の国立療養所の精神科閉鎖病棟(重度心身障害者病棟)に入院していた三十八歳の男性が、4ヶ月超の入院生活を経たのち、鎮静目的の過剰な投薬と身体拘束によるストレスが原因とみられる不審死を遂げたという内容の記事です。

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強制入院させられた精神科病院であり得ない処遇を味わった私自身の過去

現在五十歳になる私自身、十四歳時に経験したはじめての精神科病院入院を皮切りに、これまで33回に亘る精神科への入退院を繰り返してきました。

当時中学生だった私は、保護者の虐待が原因の適応障害と、生まれながらの発達障害の二次障害によるパニックを今でいう統合失調症と誤診されました。

私は自分の意思とは関係なく、元養親を「保護者」とする「同意入院(現在の医療保護入院に相当する精神科の入院形態の一つ。強制入院の一種)」扱いとなりました。

※当時はまだ入院する患者の自由意思による「任意入院」というものはなく、精神科は全て「保護者」もしくは行政判断によるいずれも強制入院形態となっていました。患者の意思で入院も退院もできるようになったのは昭和63年の精神保健法施行からです。

私は精神科への入院を要する理由も説明されないまま、檻のついた保護室に隔離施錠され、拘束されて点滴で向精神薬を投与され続けました。
抵抗すれば「反抗的だ」とされて、さらなる投薬がなされた結果、私は薬の副作用で呂律が回らなくなり、失禁し、手が震えて自力での食事もままならなくなりました。

精神科治療の一環としての「作業療法」の実態、医療スタッフによる暴力

多少「回復」したと認められると、私には治療の一環として社会復帰を目指すための「作業療法」が課せられました。しかし、その実態は院内の掃除であり、朝と午後3時の二回強要されました。場合によっては昼食後もあり、体調不良であっても患者には拒否権がありませんでした。

真夏の時期に入院していた頃の「作業療法(という名目での掃除)」では、暑さも手伝って気分の悪さを訴えて倒れる患者が後を絶ちませんでした。

ただでも向精神薬を服用し続けると、副作用として激しい眩暈と脱力感に苛まれるのですが、作業療法という治療の場だということで、患者はスタッフの許可なしで水を飲むことを禁じられていました。

8月の午後のある時、掃除の時間にスタッフに対して「麦茶をくれ」と訴えた老年期の女性患者(精神科に入院し続けると、整容もおぼつかなくなり、薬の副作用のために内臓がやられて皮膚がどす黒くなってしまいます。中学生の私から見た彼女は本当におばあさんでしたが、今思うともしかしたら五十代にも達していない女性だったのかも知れません)が、私の目の前で男性スタッフに殴られました。

十四歳の少女にとって、年老いた(ようにみえる)女性が身体の大きな男性のスタッフに殴られている様子は、ひたすら恐怖でしかありませんでした。私は五十歳になった今でもその時のことを夢に見てはうなされます。

患者がスタッフに見せしめとして殴られることはよくありました。女性の患者であっても「生意気だ」「反抗的だ」と殴られます。

患者対患者の暴力も頻繁に起こりました。
イヤな言い方ですが、病気のために衝動的になる患者さんも少なくはなく、粗暴な男性患者の八つ当たりの的となり、あるいは欲望のはけ口とされるのは、小柄で気弱な印象の女性が選ばれるのが常でした。

私よりちょっと年上のお姉さん的な女性の患者さんは、妻子のある男性看護師に性交を強要され、結果妊娠してしまいました。

私自身は医療スタッフに性的な暴力を振るわれた経験こそありませんが、同じ病棟に入院中の男性患者にレイプされたことや、退院後「同じ病棟に入院していたから」という理由だけで、通院の帰りにつけ狙われて乱暴された経験は数回あります。

退院できない精神科病院、退院しても待ち受ける地獄の毎日

まさに「壊れて自分でなくなってしまう」状況に陥りながらも「強制入院」扱いである以上、私は逃げたくても自らの意思では退院もままなりませんでした。

ようやく退院が叶った後も、私は入院中に過剰に投与されていた向精神薬の副作用で、手が震える、眼球が上を向いたまま戻らない、満腹中枢が異常をきたして体重が三倍近くにまで増加する、落ち着かなくなって室内をうろうろしてしまい、自分の意思では座ってさえいられない等々…様々な身体症状が現れて、日常生活にすらも支障をきたしました。

あるいは(精神科の薬は成分的にはヘロインと変わらないとされ、激しい薬物依存状態や禁断症状が表出するのですが)どんどん処方される薬の量が増えていく上で、私は「ヤク切れ」に陥るたびに、精神的に不穏になっては、たびたび反社会的行動や逸脱行動、自傷行為に訴えてしまいました。

私はとても自宅で療養できるような病状ではなくなってしまい、不本意ながら再入院に至ってしまう状態を何度となく繰り返していました。

精神科への入院を繰り返すうちに、私は向精神薬の筋弛緩作用によって歩行がままならなくなり、三十歳を過ぎた頃から常時車椅子が必要な状態となりました。現在は精神障害者保健福祉手帳1級のほか、薬物性パーキンソンニズムによる歩行困難を事由にⅠ種2級の身体障害者手帳を取得、所持し続けています。

二十代で認知症の症状?私と同じ病室に入院していた患者の末路

精神科閉鎖病棟の同じ病室に入院していた私を含む六人の患者のうち、五人の患者が私同様、向精神剤の副作用のために歩行困難を呈し、車椅子生活を強いられるようになりました(うち二人は死亡)。

もうひとり、私より一つ年下の女の子が入院していました。精神科病院で知り合った当初、彼女はアニメとガーリーファッションを好むごく普通の女子中学生でした。

精神科医の処方による過剰な投薬が原因で、女の子は何度も昏迷状態に陥りましたが、意識が混濁する彼女に対し、しかし主治医は「薬が足りない」とさらに増薬しまくっていました。どんどん増える向精神薬に、彼女はまさしく薬物依存に等しい病態を示し始めました。

結果的に彼女は、二十代後半には認知症様の症状を呈し、生活の全ての場面において介護が必要な状態になりました。四十代後半になった今、彼女は入院していた病院敷地内の介護施設に入所中だとの話です。

※当時の私自身の状態と精神科入院への経緯、顛末については以下の過去記事をご覧ください
「アイドル志望の少女が性的虐待を受け、精神科病院に強制入院させられるまで」

世間に衝撃を与えた「宇都宮病院事件」に下された判決と社会の断罪

私がはじめて精神科病院に入院したのは昭和58(1983)年、かの「宇都宮病院事件」が発覚する直前のことでした。

宇都宮病院事件(ウィキペディア)

当時の精神科病院を象徴する(外界と院内とを遮断する)高い塀と鉄格子の向こうの、医療者による想像を超越した人権侵害の数々。

さらには、死亡者まで出たそれらの暴力事件に、我が国における最高学府たる東京大学医学部の精神医学研究室(東大医学部脳研究施設神経生物部門)が絡んでいた…というあり得ない内容の報道の詳細が、あからさまになればなるほどに、妄信といっていいほどの医学「信仰」の高い私たち国民の間に衝撃が走りました。

しかも、提訴に繋がった二名の入院患者の死亡のほか、宇都宮病院では判明しているだけでも二百三十名の患者が不審死を遂げているにも拘らず(院長に対して国の医道審議会によって2年間の医業停止処分こそ課せられたものの)院長やスタッフに下された判決には執行猶予がついていました。

※その後、裁判は最高裁に持ち込まれ、最終的には患者を死に至らしめた主犯格の看護職員には懲役4年、院長も保健婦助産婦看護婦法(当時)違反の罪で懲役8ヶ月の実刑判決が下されました。

宇都宮病院の入院患者をモルモット代わりにしていた東大病院の教授や医師に対しては、法廷の場で罪や人間としての良心、そして「医療者としての責任」が問われるどころか、単に口頭による「厳重注意」がなされただけでした。

なぜなら、例え医療現場で「殺人」が日常的に繰り返されていた事実があったにせよ障害者を支えることは家族にとって激しい疲弊の原因だ、という点が裁判官の判断理由のひとつでした。行き場のない精神障害者を(患者が増加すれば病院側の利益に繋がるという理由であれ)どんなに重症で受け容れ困難な病状であろうとも「選り好みせず」、どの医療機関よりも極めて積極的に受け入れていた宇都宮病院の「社会貢献度」が、法廷で情状酌量された結果の「甘い」判決と至ったのです。

因みに平成が終わろうとする現在も、かつての惨劇の舞台だった宇都宮病院は、院長こそ変わったものの、そのまま地域を代表する精神科医療主体の個人病院として診療を続けています。

精神科病院で入院中に亡くなる人の数は思いのほか多い?

私が見聞きし、自ら体験した悲惨な精神科医療の闇は、時代も移り変わってもはや過去の記憶に昇華したのだと考えていました。いや、精神科で味わった苦痛が私にとって余りにも度を越えていたので、もう苦痛は過去のものになったのだと私自身が思っていたかったのです。

だからこそ、冒頭のネットの記事を目にした時、問題の本質は何も変わっていないのだなあと私はおぞましさにも似た気持ちを抱いてしまいました。

考えてみれば、私が永く入退院を繰り返していた精神科病院では、毎日平均おひとりは「死亡退院」されていました。私と同じ病室の入院患者さんもふたりが亡くなりました。患者の死亡理由の殆んどは「急性心不全」だといわれていました。実際、当時私の主治医だった院長自らの言葉を裏付けているかのように、ほぼ毎日ワンボックスカータイプの葬儀社のクルマがご遺体をお迎えに来ていました。

その病院の全病床数が156床だったことを鑑みると、精神疾患慢性期の患者しかいない(身体的に特別な管理を要する患者はいなかった)にも拘らず、毎日平均ひとりが亡くなっていたのは相当高い死亡者数だと思われますが、これはある意味妥当な数字なのかもわかりません。むしろ事件当時、精神科病床数が960床にまで達していた宇都宮病院の「三年間で死亡者が二百三十名」という数のほうが疑わしいものがあり、正直氷山の一角ではないのかと邪推してしまいます。

宇都宮病院事件の解決後の元患者における痛い顛末

この宇都宮病院事件の判決後に患者百七十名が一挙に退院したほか、長期間に亘り「自傷他害の虞がある」との診断によって措置入院(行政判断による強制入院の形態)扱いになっていた患者の六割が、栃木県による見直し判定に基づいて宇都宮病院を退院となりました。

しかし、退院した患者の多くが、現実には帰宅に至らずに行き倒れしたり、帰宅後も周囲にうまく適応できないまま、病状を悪化させてしまい、若しくは反社会行動に訴え出てしまったことも残念ながら事実でした。

特に、退院直後に宇都宮駅で電車を待っている間に駅員を切りつけた患者、自宅に帰るや否や実母を殺害した患者、無免許運転で当て逃げした患者が出た…など。措置入院患者の退院に関する県の判断ミスによって起きたこれらの重大な事案について、栃木県の担当者に対し「退院に対する判断が甘い」と相当な抗議や批判を国内外から受けた旨記録が残っているそうです。

これらは精神科医療の本質、そして問題の解決がいかに一筋縄ではいかないのかという厳しい現実を如実に物語っているといえます。

宇都宮病院事件だけではない。日本中をまさしく「呪う」精神科医療の闇

宇都宮病院事件の異常性や残忍性だけが特出しているわけではありません。

精神医療とは「閉ざされた世界」です。

閉ざされた精神科医療における差別的処遇と、障害当事者の対処の難しさから生じる厳しい現実は、日本における障害者福祉対策の拙さと精神障害者に対する差別、また「(刑法39条の拡大解釈における精神障害者等の検挙率の低さから来る)触らぬ神に祟りなし」的な世間の風潮とが複雑に絡み合っているのです。

まるで日本のどこの地域に行っても、精神科医療の闇は文字通り「見えない問題」として平成が終わる今なお、まるで社会の呪いのように焦げ付いています。

具体例を挙げれば、日本では賃貸アパートやマンションの空室率がやたら高いにも拘らず、精神障害者保健福祉手帳を所持していれば、なかなか不動産屋が物件を紹介してくれません。東京都のように不動産屋業界が独自に「東京都不動産ルール」なるものを作って、精神障害者には賃貸物件を貸さない旨、行政指導の枠の外で決めているような地域も残念ながら存在しています。

人権>法の限界こそ精神障害者が社会から排除されがちな本当の原因

また、ネット掲示板上では「精神障害者は生活保護をもらわずに真面目に働け」という誹謗中傷が溢れがちです。だからといって「自分の職場に精神障害のある人は来てもらいたくない」という声も同じくらい書き込まれています。こういった「差別的な思い込み」について、信用のおけるデータはないのか、厚労省や法務省のサイト、医療従事者や研究者による資料などを探してみましたが、信憑性の高いものは見つかりませんでした。

しかしながら、詳細はここでは割愛しますが私自身が精神障害者保健福祉手帳を所持していることによる不利益の記憶を辿るだけでも、一般の人の目から見た「精神障害者は生活保護をもらって怠けるな」。一方で「気持ちが悪いから自分の職場には来るな」というアンビバレントな考え方が、本当に根強く浸透している印象は払拭できません。

だからといって、精神障害者や精神科通院歴を持つ人が例えば近隣トラブルを起こした場合、警察や行政が加害者である障害当事者の身柄を拘束し、被害を被った一般市民を助けてくれるのかといったら、正直それもケースバイケース(たいていは被害者のほうが泣き寝入りな結果になってしまいがち)です。

かつては精神障害者の起こしたトラブルは監督すべき家族の責任となされていました。しかし、平成12(2000)年に精神障害者の家族に対する「自傷他害防止監督義務規定」が削除、さらに大幅な法改正を行った平成26(2014)年には「精神障害者に治療を受けさせる義務等の規定」が削除されました。

一見精神障害者に対する社会の理解が進んだ結果にも思えるそれは、一方で人権を理由に、悪くいえば「精神障害者は何をやってもお咎めなし」だという印象と誤解とを障害当事者本人にも、さらには(健常者がメインの)社会にも植え付けてしまう結果に至りました。

※特に重大な事件や犯罪を犯した当事者に対し「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)」という法律が新たに2003(平成15)年成立、2005(平成17)年7月15日から施行されました。

心神喪失又は心神耗弱の状態(精神障害のために善悪の区別がつかないなど、刑事責任を問えない状態)で、重大な他害行為(殺人、放火、強盗、強姦、強制わいせつ、傷害)を行った人に対し、適切な医療を提供し、社会復帰を促進することを目的です。

具体的には、裁判官と精神保健審判員(必要な学識経験を有する医師)各一名からなる合議体による審判で、事件を起こした本人に対する処遇の要否と内容の決定が行われます。審判の結果「要処遇」となった場合には、医療観察法の入院による医療、又は、通院による医療の決定がなされます。

過去の精神科病院の実態を知る私が精神医療についてもやもやする真の「闇」

障害者の人権(擁護)という言葉がやたら大手を振って、対する健常者の権利はきちんと守られているとは言い難いところが、もはや社会的通念レベルとして「精神障害者は何をするかわからない、関わってはいけない」と言われることの一番の理由になっている現実はとても残念です。

ただ、住む場所も働ける場所もきちんと得られないとなれば、日常生活をダイレクトに脅かされる結果に繋がってしまいます。こういう状況下では、メンタル的に強い人であっても精神的に病むのは明白な部分といえるでしょう。

そんな「精神障害者は怖い」という偏見がどんどん重なってしまうことによって、社会に追いやられた「本来は真面目でおとなしい」精神障害者も、どんどん投げやりになって心が荒んでしまいがちです。今でいう「無敵の人」として反社会的行動に訴えては、関係ない他人を巻き込みつつ、ひたすら自滅の道を突き進んでしまいかねないのです。

その「ブチ切れた」行動や凶行の一部分ばかりが、きちんとした考察もなされないままにセンセーショナルな報道として溢れています。

精神医療の「問題の本質」が理解できない一般市民の間でさらに「精神障害者はじめ自分の行動が管理できない障害者や年寄り、働くことができずにナマポ(生活保護の蔑称)で食ってる生活困窮者は隔離しろ。隔離することが私たち納税している健常者の安全を守るためには必要不可欠だ」という意見に、いとも短絡的に繋がってしまう社会の流れを、私は自身も精神障害当事者である立場から本当に憂慮しています。

「危険な人物は世の中から隔離してしまえ」という発想こそが、第二第三の宇都宮病院事件を招きかねないということは、社会問題に対して素人の私であってもすぐに感じ取れる懸念だと思われるのですが。

精神障害者はじめ「普通の生活にさえ支援を必要とする人」を、心広く受け容れられるだけのキャパシティが社会にない点もまた現実であり、問題解決どころか、精神医療の問題の実態を把握するに至るまでさえも、決して一筋縄ではいかないことこそが、精神障害者の何よりの不幸なのだと…私は当事者として、ただもやもやし続けるばかりです。

凄惨な宇都宮病院事件は過去の不幸ではない。「今は健康な」あなた自身の問題

結局、今回たまたま広島の事件が明るみに出た「だけ」だとしか言えないのです。
十四歳の時に初めて精神科に入院してから、以降向精神薬の副作用によって身体の障害までを負った私のなかでも「宇都宮病院事件」は続いたままだといえます。

「臭いものには蓋」的な日本の社会や行政や福祉の在りよう、そして医療制度の問題点が、余計に精神障害者にまつわる問題の解決を妨げているということを、このストレスフル社会において誰しもがメンタルを病まないとも限らない中、現時点では心身ともに健康なあなたにも是非ご自身の問題として考えて戴きたいのです。

精神医療=牧畜業?医療に体よく「飼われて」しまわないために

精神医療制度の問題を考えるという上で、残念な言葉過ぎて真逆に興味深さを憶えるほど強烈な一言があります。

宇都宮病院が開院に至った当時、日本医師会会長だった武見太郎氏はこう述べました。

「精神医療は牧畜業だ」(長岡和 著「爆弾精神科医」より)

その当時は精神科病院を経営することは大きな儲けを呼ぶとして、全くの異業種異分野からでさえも参入する経営者は後を絶ちませんでした。

現在の社会福祉・医療事業団に吸収される以前の医療金融公庫が精神科病院を作るための資金を賄うべくどんどん貸付を行ったこともあって、1950(昭和25)年には18000床程度だった日本の精神科病床数は、19年後の1969(昭和44)年には約十四倍の250000床にまで増加します。

そういった話ははまるで介護保険導入前後に、有償の老人入所施設や介護サービスを提供する事業所が増えた(あの)現象を彷彿とさせるようです。
実際の話として、そのように精神科病院を乱立させ、統合失調症の患者をある程度囲い入れたあとに、新たに精神科医療がターゲットとしたのは認知症の高齢者だという説が実しやかに語られているのをご存知の方は多いでしょう。

今は関係ないと思っているあなたであっても。
いつ体のいい「牛馬」として、精神科医療のみならずなにかもっと怖い得体の知れない力に「飼われて」しまうのか、もっとご自身の問題として危機感を持たれてもいいのではないかと思うのです。

実際に精神科医療によって「人」としての人生をめちゃくちゃにされた当事者、過去に精神科医療という牧場で身を以て監禁を経験した「牛」の私から、最後に皆さんに警告いたします。

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