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私は「ボダ」。それでも死ねない以上生きていくしかないパーソナリティ障害当事者の想い

 

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私は「人格」障害です、生まれてきてごめんなさい

「アゴラ」に純丘曜彰・大阪芸術大学教授によるこんな記事が載っていました。

新生活!ボダにだけは気をつけろ!
http://agora-web.jp/archives/1439250.html

このトピックの初出は2012年ですが、有名な記事でもあり、実際にネットでご覧になった方も多いかと思います。
ただ、実際に境界性パーソナリティ障害の診断を受けている私にとっては、本当につらい内容の記事です。

パーソナリティ障害は、過去には「人格障害」と呼ばれていました。
障害名が与えるスティグマを懸念した日本精神神経学会は、2008年6月に人格障害の正式名称を現在の「パーソナリティ障害」と改めました。

しかしながら、精神科医でさえ未だに「人格障害」と呼ぶ場合も多く、この病名の響き、そして印象の悪い点にまず当事者は苦しめられ続けています。

※パーソナリティ障害(厚労省「みんなのメンタルヘルス」)
パーソナリティ障害は、大多数の人とは違う反応や行動をすることで本人が苦しんでいたり、周りが困っているケースに診断される精神疾患です。認知(ものの捉え方や考え方)や感情、衝動コントロール、対人関係といった広い範囲のパーソナリティ機能の偏りから障害(問題)が生じるものです。注意したいのは、「性格が悪いこと」を意味するものではないということです。

当然ですが、これは患者の性格が悪いという意味ではなく、一般の人に比べて「パーソナリティ=人格」の働きに偏りが見受けられるという意味合いです。

最近話題の発達障害が生まれつきの脳の働きの偏りだとすれば、成育歴や家庭環境など本人の責に問えない後天的な理由によって生じた認知能力の偏りや「生きづらさの障害」が、パーソナリティ障害だというイメージで捉えていただければいいでしょうか。

※もっとも、発達障害を持って生まれた子どもが、障害特性ゆえの育てにくさから、保護者による虐待を含む不適切な養育を受けた結果、二次障害としてのパーソナリティ障害を併発するケースは現実によく見受けられます。私自身、そのうちのひとりであることも申し添えます。

病名が与える印象の悪さも手伝って、パーソナリティ障害の患者の中でもとりわけ「ボダ」という蔑称を以てネット上であらぬ侮蔑のネタにされている境界性パーソナリティ障害の当事者は、実生活上でもさらなる差別を受けている残念な現実があります。

そんな背景もあって、この記事が繰り返しネットにアップされるたびに、私は「生まれてきてごめんなさい」と凹んでしまいます。

パーソナリティ障害が社会に知られつつあること自体は当事者として好ましいけれども

詳しくは後述しますが、私は複雑な家庭に生まれ、不安定な成育環境のもと虐待を受けて成長しました。
自分の心を守るための防衛反応としての「解離性障害」も抱えている私は、五十歳になる現在もなお苦しみ続けています。

※解離性障害(ウィキペディア)
解離性障害とは、自分が自分であるという感覚が失われている状態が主となる個々の精神障害のためのカテゴリ(分類)である。『精神障害の診断と統計マニュアル』第5版 (DSM-5、アメリカ精神医学会、2013年)では、解離症群と解離性障害が併記される[1]。

冒頭の記事を書かれた大阪芸術大学教授の純丘先生は哲学がご専門とのお話です。
全く畑違いの分野をご研究されている先生であっても、精神医学に関心を持たれたということに対しては、それだけメンタルヘルスの問題が社会に浸透してきたことを言質しているとは思います。

ただ、当事者は本当に苦しんでいます。

境界性パーソナリティ障害の当事者は私を含めていわゆる「かまってちゃん」が多く、面倒臭い存在であることは自分でも重々承知しています。

しかし、同時に私たち当事者はいつもうまく生きられない自分を責めて、消えてしまいたい想いに折り合いをつけようと努力しつつも、生きづらさにひたすら喘いでは苦しんでいます。
私たち当事者の自分の力だけではどうにもできない苦しみを、このようなセンセーショナルな文言で煽る真似だけは控えて戴きたいと強く願います。

私自身のパーソナリティが「バラバラ」になってしまった経緯

複雑な家庭に生まれた私は、幼少期からたびたび養育者が変わりました。

そもそも生まれつき発達障害を負っていた私は、健康で活発な子どものようには振舞うことができませんでした。
加えて、私は幼少期から食物アレルギーやアトピー、喘息やてんかんといった病気も抱えていて、病院のお世話になる場面も多かったので、大人からすれば単純に「可愛げがなく虚弱で育てにくい子ども」でしかなかったことでしょう。

私には年の離れた姉がふたりいました。
健常児(定型発達)の姉たちが「愛玩子」であるなら、末子の私はいわゆる「搾取子」でした。
家庭内において、障害のある末っ子の私が置かれた立ち位置とは、大人たちが(ストレス発散の如く)ぶつける暴言を浴びて泣くだけの、まさに「スケープゴート」というポジションでした。

中学生になる頃、私はある夫婦のもとに養女に出されましたが、そこで少女の私は性的暴力を含む様々な虐待を受けました。
養親は父母共に社会的地位の高い人物でした。
なので、パッと見には私が日常的に受けている不適当な養育が、しかし誰かに知られることは殆んどなく、たまたま見聞きした人も全員気付かない振りを通していました。

他の同級生が当たり前に手にする持ち物も、私は買ってもらうことができず、参加したい部活動や課外授業も家庭の都合や養親の意向で我慢し続けるしかありませんでした。
そういう状況のもと、私は学校でも激しいいじめに遭いました。

もともと(生まれつきの障害によって)自閉的傾向が強かった私は、次第に社会的不適応の様相を強く呈していきました。
さすがに近隣でも「養父母が娘の私に対してひどい仕打ちを繰り返しているらしい」という噂が立ち始めた頃、養親は自らの保身を考えたのか、娘の私がメンタル的に故障し、誰から見てもあからさまに不安定な状態に陥ったのを理由に、私を精神科病院に強制入院させてしまいました。

家庭においても、学校においても、ティーンエージャーの私が安心して過ごせる居場所はありませんでした。

学校の先生や保健室にいる養護の先生、入院させられた精神科病院の主治医…十代の私は考えられる大人に片っ端から自身の窮状を相談し続けましたが、誰一人私の話を真面目には聞いてくれませんでした。
自分の置かれた状況に絶望した私は、次第に心を閉ざし、他人をまったく信用しなくなりました。

大人に依存しなければ生きていけない子の立場。予め「気に入られるように」振舞う私

それでも、子どもという立場である以上、食べていけるだけの収入を手にすることもできない私は、大人から何かしらの養護を保障されなければ生きてはいけないのも事実でした。
そんななか、自分でも意識しないうちに、私は身の守り方の一助として、自らの感情を殺しつつ、敢えて大人に気にいられるように振舞ってしまう癖を身につけました。

私は内心びくびく怯えつつも、どうにか大人にひどいことをされないようにと、大人から見て「いい子」だと思ってもらえるように、演技しつつ毎日をやり過ごしていました。
具体的には「こうすればお母さん(お父さん)は私をいい子だと思ってくれる」ような行動を先回りして考え、実行に移すよう努力していたのです。

しかし、もとからの発達障害ゆえに、一般的な同世代の子どもよりも空気が読めない私です。
大抵の場合、私が先回りしてとった「大人にとって望ましい行動」は、しかし方向性が間違っている場合のほうが多く、私の行動は養親の「怒り」の感情を増幅させるだけでした。
結果的に、私に対する大人からの虐待は余計にヒートアップしてしまいがちでした。

私はとにかく他者(大人)から見捨てられるのが怖くて、養父母に気に入られるべく必死で「望ましいいい子」に振舞おうと努力するのですが、殆んど結果に繋がりませんでした。

大人との「望ましい関係性」の構築の失敗から来る挫折感は、私のその後にずっと暗い影を落とし続けています。

近親者からの性的乱暴から逃げて結婚するも二回とも失敗

当初、私は「お父さん」に乱暴されているだけでした。「お父さん」は「お母さん」の目を盗んでは私に性的な行為を繰り返し要求しました。
気持ちよくないからという理由で「お父さん」は行為の際、避妊の処置を一切してはくれませんでした。私が少しでも拒否すれば「お父さん」にもっとひどいことをされるので、私は我慢してその時間をやり過ごすしかありませんでした。
そういう状況下、当時中学生だった私はひたすら妊娠を恐れていました。

私が高校生になると「お父さん」だけではなく、姉の配偶者が義妹の私にたびたびセックスを要求しました。姉は婦人科系の病気で結婚直後に子宮と卵巣を摘出していて、夫の求めに応じられなかったのです。

「誰かに言ったらお姉ちゃんとは離婚する」という脅迫めいた台詞に、私はいやいやながらも従うしかありませんでした。「お父さん」とも着けてないのだから同じだろうという理由で、私が懇願しても避妊具を着けてもらえなかったことは言うまでもありません。
実妹に対して夫が働いている行為を、姉もまた気づいてはいましたが、自分の保身のためか、姉は私を助けてはくれませんでした。むしろ嫌味を言われたことさえあります。

私はもはやこの家庭にいることはできない。そう考えた私は高校卒業後直ちに家出し、同棲の末、若干二十歳で一回目の結婚をしました。
しかしながら相手の男性には精神疾患と薬物中毒とがありました。

彼は気に入らないとすぐに私に暴力を振るい、妻の私を殴るだけでは飽き足らずに、薬の影響もあってか、赤の他人を出会いがしらに殴ったりするようになりました。

職場で経費を使い込んだ彼は職も失い、以降はアルバイトも続きませんでした。
私がシェルターに逃げている間に、彼が別の女性との間に子どもをもうけている事実がわかり、私はそのまま離婚しました。

離婚しても実家には帰れなかった私は、高校の同級生のもとに転がり込みました。
しかし、新しい彼もまた現役で入学した国立大学の工学部を、たびたびの休学と留年によって入学後8年経っても卒業できていない状態にありました。

学生結婚によって夫になった彼に泣きつかれ、新妻の私がもう適当にゴーストライティングした「卒論」によって、彼は結局9年かけて大学を卒業はできたものの、入籍し家庭を持ったにも拘らず、全く働こうとはしてくれませんでした。

彼の家族も全員定職にはついていない状態で、日雇いなどで文字通り「日銭を稼いで」いるといった暮らしぶりでした。
そういう生活なのにも拘らず、夫は「田舎の長男」ということで、妻の私は跡取りの男の子の出産を要求され、「長男の嫁」として私は不毛な不妊治療まで課せられました。

私にとって子作りの義務から課せられる、月に一度の性交はさらなる苦しみの再燃でした。

やがて、不妊治療を行っても子が持てないとわかると、夫に「身体で稼いで来い」といわれ、私は一時期ながら望まないセックスワークにまで従事せざるを得なくなりました。

ドシュラバの果てに二番目の夫との離婚が成立した時、私はすでに四十七歳でした。
そののち、彼の連帯保証人として背負った相当額の債務を整理し、元妻の私が自己破産及び免責の決定を受けたのは今からまだたった1年3か月前の話です。

はじめて性的な乱暴を受けた十四歳の時から、債務も含めてすべてを清算し、ようやく自由を得た四十八歳までの間に、心をすり減らした私は実に33回に亘る精神科への入退院を経験しました。

わざと自分を傷つけることによって生きている実感を得る

そういう経緯もあって、私にとっての性行為は愛情の確認でも次世代を生み出す生殖行為でもなければ、もはや単なる快楽ですらありませんでした。

私にとってのセックスは「相手の望む自分」になれない、私自身に対する「罰」に等しいものでした。
つまり、私にとってのセックスはまさに自傷行為でしかなかったのです。

男性と行為に及ぶ時には、私は必ず心を無にし、自分を消しました。うまく表現できないのですが「自分を消す」ことでしか行為には及べない私がいたのです。

相手の男性が私の身体を用いて満足した表情を浮かべると、その時だけは私は「誰かに必要とされている」実感を得ることが叶いました。
そういう意味合いにおいては、セックスは私にとって「生きていてもいい自分」を確認するための行為だといってもよかったでしょう。

しかしながら、性行為のあとには必ずといっていいぐらい、私は言葉にできないほどの自己嫌悪に陥りました。

私は「ダメな自分」に罰を与えるために、手首を繰り返しカッターナイフで切り付け、精神科の外来で処方される薬を一気に服用しては昏迷状態に陥り、常に自分の髪の毛を抜いて痛みを感じていなければ落ち着かなくなりました。

リストカットして自分の手首から血が流れる様子を目の当たりにすることを通して、私は「生きている自分」を再確認しました。
一方でODに傾倒し、気を失う経験を繰り返す行為は、いうならば私にとって「死の模擬体験」でした。
髪の毛を抜いて痛みでも感じ続けていなければ、私は本当に「消えて」しまいそうで不安でたまりませんでした。

いや、直ちに消えてしまいたいのです。
ただ…そんな私であっても、誰か「生きていて大丈夫だよ」と止めてくれないかな。
そう願うことだけが、この私に理不尽な仕打ちしかしない社会に対する、私の「想いを馳せられる」愛情にも似た慕情でした。

いわば単なる「かまってちゃん」でしかないのですが、そういう感じにしか私は世の中に繋がってはいられなかったのです。

自傷行為=生きていること自体申し訳ないから自分に罰を与えている

こんな生き方しかできない私自身を、私は子どもの時からずっと呪っています。
「居てはいけない自分」に罰を与えるしか術がないから、私は自分を傷つけ続けています。
基本的には「生きていてごめんなさい」という想いが、常に私自身を呪っているのです。

ベースには「私が悪い子だからひどい目に遭うのだ」という、私にとっての「人生における主題」があります。

子どもの頃、私は「お前は悪い子だからこんな目に遭うのだ」と大人から暴言を吐かれ続けました。「お前は悪い子だから」「ダメな子だから」痛い目に遭うのだと、私は理由も理解できないまま、大人によってインプリンティングされ続けていました。

私がはじめて「死にたい」と強く思ったのは小学校4年生の時です。

しかし、それを担任の先生に話したら「命を粗末にしたいなんて悪い子だ」と頭ごなしに非難されただけではなく、当時の保護者だった伯母に連絡されてしまいました。

以降、私は死にたいという心の叫びにも似た想いすらも、無理やり封印しないと大人から認められないのだというふうに考えるようになりました。

女の子である自分、女性に成長していく自分の身体と心が許せなくて

中学生になって性的な乱暴をされる時にも「お父さん」は「お前が色気づいているからだ」「お前が中学生のくせに胸がデカいからだ」などと言いつつ行為を働いていました。

私が生理の日には「お父さん」は「今日は使えないんだな」と詰り、一方で「お母さん」は汚いといって、私を部屋にいれなかったこともたびたびでした。

私は行く当てもなくて、今でいうニートの男友達の家を徘徊しては、経血まみれになってセックスをしていました。若い男の子にとっては出血しても欲望が吐き出せればいいという感じだったのでしょう、私の肉体はそれなりにニーズがありました。

しかしながら、(当然のように)私は自分が「女の子の身体」であることを呪い続けました。

女の子に生まれたくなかった、女の子だから乱暴されるんだ。「女性」になっていく自分をもう本当に許せない私は摂食障害も起こしていました。
当時の私は身長が174センチに対して、体重はたったの38キロしかありませんでした。

がりがりに痩せた結果、DカップだったブラジャーがAAカップのお子様ブラでさえも緩々になった時には生理も停まりましたが、生理が来なくなったということは私にとって「女の子をやめられた」という意味と同列でした。

しかし、生理が停まったあとも私は「お父さん」や「お義兄ちゃん」から乱暴され続けました。
何ひとつ許せなくなった私は、拒食から一転、過食の傾向にシフトし、体重はたちまち96キロまでに増加しました。
体重がコントロール不能になっただけではなく、同様にメンタルも不穏になってしまった私は、他の人には理解不能な理由、「ここで泣くんかい?」というようなトリガーポイントで、感情を乱されまくってはギャン泣きしがちになりました。

泣けば余計に嫌われることもわかりましたが、当時の私は泣くことでしか自分が出せなかったとしか言えません。
泣くことしかできない自分を罰するために、私はさらなる自傷行為に走りました。

例えば、アルコールに関していえば私はアディクション一歩手前にまで陥り、それでも断酒会に参加することでどうにかお酒をやめられました。
しかし、断酒以降は買い物依存に走り、お金がなければ即物的に身体を売って粗末にし…私はもうひたすらダメ・スパイラルに傾いて生きてきました。

私にとって、自分を粗末にしている時のほうが生きている実感が得られるのです。

のちに私はHPVに感染して子宮頸がんを発症し、内性器の殆んどを失いました。
がんという病気を患ったことですら、私にとっては「ダメな自分に対する罰」というふうにしか受け取れず、未だに引きずっては苦しんでいます。

苦しい時には言葉で訴えられる私になりたい

めちゃくちゃな生き方を続けてきた私ではありますが。
その一方で、人間には言葉がある以上、苦しい時には自傷行為に訴えるのではなく、言葉を以て「苦しい」と訴えなければいけない、そう確かに気づいてはいます。

そういう気づきや想いが「ボダは怖い」と揶揄されがちな、パーソナリティに障害がある自分の現実を直視しなければいけないという、私のなかの覚悟にどうにか繋がっています。

パーソナリティ障害は一般的な精神疾患とは違い、薬物療法が功を奏しません。
余りに不穏な状態が続く時のみ、医師から気持ちを安定させるための薬が処方されますが、基本的にはこれというような特効薬が今のところ開発されていない状況です。

パーソナリティ障害の特効薬がないからこそ、安易に薬の力を借りずに自分をうまく制していけるようになろう。そう思えた点だけが今の私にとっての光と言えるでしょうか。

生きていくことは苦しみでしかなく、自分の存在意義なんて未だにわからないままの私です。
しかし、自傷行為に訴えて他人の反応=相手の心を試すのではなく、自分の存在を意味付けられるように、五十歳を迎えた今、私は自分の仕事で社会に返そうと思っています。

――リストカッティングし、オーバードースを繰り返しては「誰かが自分に対して心配してくれるかどうか」試すのではなくて。
今の自分にできる仕事をきちんとこなし、ありがとうと言ってもらえた方がずっといい。
同じかまってちゃんなら、せめてポジティブなかまってちゃんになろう。
そう私は日々私自身に話しかけることによってどうにか生きています。

同時に、苦しい時には苦しいと言葉で言える私になりたいです。健康な方にとっては当たり前のことかも知れませんが、私にとっては本当に高いハードルです。

今まで過激な行動に移すことによって自分の困難を訴えてばかりの私でしたが。
それは「言葉を持っている」という人間の特性と照らし合わせれば(人として)とても狡い行いだともいえるでしょう。

つらい時にはつらいとSOSを出せる勇気をも備えた自分でありたいです。
他人との適切な距離をうまく理解しつつ、正しい意味で他人に甘えられる私になりたいです。

類は友を呼ぶ?同じ障害を抱える同士傷つけあってはさらに苦しむ

しかしながら、アラフィフの今も他人との適切な距離感が未だに把握できない私です。

他人との望ましい距離感がわからないことに帰する対人トラブルに、私自身が頻繁に巻き込まれがちな事実も否定はできません。

類は友を呼ぶのでしょうか、私には自分と同じ境界性パーソナリティ障害を持つ人物が男女問わず近寄ってくることもかなり多い印象が自分の中にもあります。

同じ障害に苦しむ相手の痛みがわかってしまいがちな私だからこそ、相手の触れてはいけないパーソナルスペースに、ついうっかり入り込んでしまうことによって生じる対人トラブルがあとを絶ちません。
お互いが当事者である場合、一旦トラブルに入れば、互いに相手との距離感がわからないからこそ余計にどうしようもないところまで泥沼化してしまいます。

それでも、男性が相手であればまだ相談する先はあるように思えます。
相手が女性で、彼女がストーカー化した場合になどは、警察も相談に応じてくれません。
ネット上に住所などの個人情報がばら撒かれたりしても、最後は「当事者同士で相談した上で解決してください」といわれて終わりです。

おそらく、境界性パーソナリティ障害当事者との付き合いにおいて、似たようなトラブルは私ではない(健康な)人でも経験し得るのでしょう。
だからこそ「ボダは怖い」と言われてしまいがちなのだと思います。

パーソナリティ障害当事者同士のトラブルの果ての絶望的な結末

私自身、過去にはトラブルの相手が勢いで自傷行為に出たケースもあり、その時は本当にトラウマになりました。

現在、私はプロのライターとして生計を立てていますが。
(個人が特定されることを防ぐ意味で詳細は割愛しますが)ある時、私の作品の読者という自称・作家志望の男性が、一ファンとして拙作に対して評価を出すという体で、私に絡んできたことがありました。

彼も私と同じ障害で苦しんでいるという話で、だからこそ切磋琢磨し合って生きていこうねとも真面目に話したりしていました。
知り合った当初こそ、彼は私の作品を絶賛し、めちゃくちゃ高評価をくださっていました。

しかし、ある時から彼はとんでもないアンチへとシフトしてしまい、以降私に文句を超えた暴言、脅迫めいたクレームをつけまくっては、私にひたすら絡んできて困った経験がありました。
最終的に彼は、私に対する当てつけと称して自殺企図、完遂してしまいました。

幾ら迷惑行為に訴えていた相手であっても、一方的な理由で勝手に死なれると、こちらとしては困惑を超えた苦しみしか残りません。
むしろ、相手男性は私を永遠に苦しませるために、自身の死を以て嫌がらせしたのだと思います。私にとっては未だに苦しいままの記憶です。

なお、私の経験上、女性のほうが(境界性)パーソナリティ障害だと診断されている場合が男性の当事者数よりも遥かに多いと思われますが。

全体から見れば「少数派」ながらも、トラブルの際は男性当事者のほうが、絡んでいるターゲットに対し、一旦拗れようものなら(自傷や自死を含む)過激な行動に躊躇いなく打って出、救いようもないほどの結果に繋がりかねない場合が多い印象を受けています。

境界性パーソナリティ障害当事者の私から皆さんに知っていただきたい事実

今までいろんなお話を差し上げてまいりましたが。
皆様に知っていただきたいことがあるとすれば、一羽一絡げにボダと揶揄される境界性パーソナリティ障害当事者であっても、その病状は実にいろいろだという部分です。

確かに厄介な「かまってちゃん」も多く、そういう面において、私自身もいろいろな方にご迷惑をお掛けしていることでしょう。心からお詫びしたいと思います。

ただ、繰り返しにはなりますが。
(境界性)パーソナリティ障害と診断された自分には、対人関係にまつわるどうしようもない障害があることを自覚し(病識を持ち)つつ、弱い自分の真実を受け容れた上で、どうにか生きづらさを感じる自身をうまく律していこうと考え、努力し続けている当事者も少なくはないことを知っていただきたいのです。

理解してくださいとは決して申し上げません。

苦しみを抱えつつもどうにか普通の方のように行動できる自分に生まれ変わりたい。そう願いつつ、回復を目指して日々努力を続けている当事者も少なくはないのです。

私を含め、自己の回復を目指して努力している当事者に対して「ボダは怖い」「ボダに近づいたら最後、自分がボロボロになる」「気持ちが悪いボダは死ね」という類の暴言を、リアルな付き合いの上でもネット上でも、気分に任せて吐かないでいただきたいのです。

もしも、どうしても私たち境界性パーソナリティ障害当事者を貶めたいのであれば、私たちのことを「ボダ」という蔑称(としか思えない言葉)で詰りたいのであれば。
いっそのこと黙って私たちから距離を置いてほしいのです。

離れていく人物を、私たち当事者はしかしいつまでも追いかけたりはしません。

幸か不幸か、私自身はつらいながらも「境界性パーソナリティ障害」という重たい現実を目を背けずに見つめられるところにまで成長できました。

例え私レベルのきちんとした病識がない(病状の悪い)ような当事者であっても、自分を「かまって」はくれなくなった相手(俗にいう“タゲ”)からは、自ら興味を失って離れていく性質を、境界性パーソナリティ障害当事者は(その障害特性上)備え持っています。

言い換えると、状態の悪い当事者にとって、相手(タゲ)に「かまってもらう」ことが目的なのであって、決して相手の存在そのものに固執しているわけではないのです。

かまってもらえなくなったら、単に次を当たるだけです。
だから、当事者本人は障害ゆえに理解し難い行動に出ているのだという点だけを正しく理解して頂き、黙って距離を置いてくださればそれで充分です。

子育てや結婚についての持論。虐待サバイバーとして障害当事者としてこう思う

私たち当事者は常に生きづらさを感じていて、本当に苦しんでいることも事実です。

第二、第三の私たちを生み出さないためにも、皆さんにはそれぞれいろいろな背景がおありなことだと重々察してはいますが、子育て中の方はどうかお子さんを正しい愛情を以て育ててください。

子どもはあなたがた親とは別の人格であり、親であるあなたの所有物では決してありません。
あなたがた親の勝手な感情をぶつけられた子どもは「自分が悪い子だから」という形で、自らの内面で処理してはつらい現実に折り合いをつけ続け、その結果壊れてしまうのです。

子育てはとても大変だと伺います。
しかし、不十分ながらも行き詰った時の相談窓口はあります。どうかあなたのイライラややるせない気持ちを子どもさんにストレートにぶつけるのだけはやめてください。

また。昨今の少子高齢化の影響でしょうか、ある年齢に達すると女性も男性も結婚、そしてその先の出産育児というある種の(社会からの押しつけにも似た)「理想」に追い立てられていきがちです。

人生において恋愛や結婚は素晴らしいものであり、子どもは可愛いものだと信じろ。
そう世論は暴力的な勢いで若い世代を責め立てては、愛だとか家族だとかいう不確かな概念をやたらと称賛し、美化し、半ば無理やりに押し付けています。

それらの概念による「成功」を掴んだ人たちのことを、人生における「勝ち組」としがちな風潮は、間違いなく私たちの住む社会に存在しています。

ただ、境界性パーソナリティ障害当事者目線で見る時、こういう世の中の感覚は本当に危険だと思ってしまう部分も多々あります。

恋愛や結婚は(当然ながら)相手在ってのことです。
「ボダ」と揶揄される私たちですら、恋愛や結婚を推奨され、その結果として出産して子育てに臨む場合もあります。
私たち当事者自身、それまでの家庭生活が不幸だったことも相まって、好きな人に守られて愛され続ける生活を自ら積極的に選べば、このつらすぎる現状が好転するのかなと信じたくなってしまいがちです。

しかし、境界性パーソナリティ障害の当事者は対人関係がうまく構築できないという性質を持っています。
殆んどの場合、私たち当事者もパートナーたる相手も疲弊しきって最終的には心身ともにボロボロになってしまいます。

周囲の人は当事者に対して、無責任な持論を展開し、若しくは「結婚すれば、子どもを産めば」障害も含めてすべてがよくなるといった安易な意見を軽はずみに言わないよう、どうか心がけて戴きたいと切に願います。

そもそも、恋愛や結婚、出産といったライフイベントは極めて個人的なものであって、他人が口を挟むべき問題ではない気がしています。

また、結婚や育児がどうしても向かない人は一定数存在すると思います。
(結婚や育児)不適合とは努力でどうこうできる部分ではなく、最初から「向かない」のです。

そういう人たちは得てして本心では家族を持つことを望んでいない場合も多く、そのような人たちのなかには、子どもの時に虐待を経験したり、両輪の不仲や親同士の間で行われる暴力などを見聞きして育ったケースも少なくはないのです。

家族の在りように対して幻想以上のものを抱けない人に、幸せで安定した家庭を作れといってみたところで、ただの「無理ゲー」でしかありません。
自身も虐待されて成長した人が、生まれてくる子どもをうまく育てられなかったり、不幸にも虐待してしまうリスクは一般の方に比べてずっと高いといえます。

少子化が問題だからとにかく何でもいいから産め、という考え方はちょっと違うと思います。結婚や出産以上に、その後の育児は長期間に亘る一大プロジェクトです。
子育ては健全な家庭に育った健康な男女であっても、様々な面での負担や悩みが大きい性質のものです。

にも拘らず「入籍すればどうにか結婚生活は続けられる」「産んでしまえば子どもは何とか育てられる」などと、周囲が(無責任に)「産まない選択」を検討中の若者に結婚や出産を無理強いして欲しくありません。

自身では避けられない理不尽な虐待の不幸に心身を病む子どもを再生産しないために。
平成が終わろうとしている今でさえありがちな考え方、例えば「恋愛や結婚できる人が社会の勝者だ」とする風潮や「結婚したら子どもを産んで当然」だとか、あるいは「育児の経験がない人間は“いくじなし”だ」とか批判して、まるで後ろ向きの人生の選択みたく見下げてしまいがちな世論が、しかし当然のものとされないような社会になってほしいです。

負のサイクルは自分の代で断ち切りたい。
虐待を経験した当事者の殆んどは真摯にそう考えています。

そういった人々の間では「結婚しない、子どもは持たない」という考え方も当たり前の概念です。
苦しんだ結果の判断から導いた私たち当事者の選択を、社会は無責任な見地からバカにしないでいただきたいのです。

理解し難い言動に打って出る当事者は内に悲惨な過去とつらい記憶、寂しさを秘めている

一見我儘で手が付けられないように見受けられる境界性パーソナリティ障害の人たちですが、過去に虐待などの悲惨な経験を、自らは望まざるうちに経験せざるを得なかったケースが殆んどです。

私たち当事者は、不当な扱いから自分の心を守るため(に身に着けた習慣にも似た行為として)、他人の心を試すという、健康な人には理解し難い行動に移してしまうことしかできないともいえるでしょう。

一説には、境界性パーソナリティ障害の女性のおよそ6割以上が、幼少期に性的虐待を経験しているといわれています。

逃れられなかった苦しみの果てに、自分でもどうしようもなくワケのわからない行動に移してしまうことでしか自らの存在意義を確認する術がない私たち当事者です。
せめて「ボダは怖い」「死ね」といった暴言で、当事者を余計に苦しめないでいただきたいと心から願います。

仮に安楽死が法的に認められているなど、正当な手段を用いて死ねるのであれば、私たち当事者は自らとっくに死んでいることでしょう。
死ねないからこそ苦しみつつも喘ぐように生き続けるしか選択肢がない私たちに対し、気分で暴言を吐くことだけは控えてください。

他者に迷惑をかけ続けていることを自覚しつつも生き続けるしかなく、苦しさの余り「かまってちゃん」してしまうしかない私たちの存在が許せないのであればそれで構いません。
私たちの存在が邪魔ならば黙って距離を置いてください。

今は見えない希望をそれでも信じて生きていくしかない私たちだから

精神科医・熊代亨先生はしかし、ご自身のブログでこうも書かれています。

“ボダ”の一人歩き――本当に境界性パーソナリティ障害なのか
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20150316/p1

ネット上では「ボダ」という語がすでに差別用語となっている現実を酌みつつ、熊代先生が温かい目線で専門的な立ち位置から境界性パーソナリティ障害を解説くださっていることに対し、私は当事者のひとりとして感謝したいと思います。

私のように正式に「境界性パーソナリティ障害」という確定診断を受けている当事者も多く存在する一方で。
熊代先生のおっしゃっている趣旨からはやや離れてしまいますが、生きづらさを自ら「ボダ」と称する人物や、若しくは他人を陥れる意味合いで「ボダ」と差別的に特定の誰かを指す行為も、インターネット上を中心に散見される気がします。

それらは本当に回復したいと願いつつも、一進一退を繰り返しては悩み続ける当事者に対し、本当に失礼な言動だと私は怒りすら憶えます。

境界性パーソナリティ障害とはそのものズバリ「生きづらさの障害」です。
障害である以上、努力しても普通の人とは同じようにできないという現実があり、当事者は程度の差はあれ同じく悩み傷ついています。

少なくとも「ボダ」は誰かを非難するための言葉ではありません。その点だけは皆さんによく考えて戴きたいです。

子どもの頃、自分では理解しがたい「仕打ち(=虐待)」に遭わされた結果、若しくは過保護や過干渉など不適当な養育を受けた結果、私たち当事者は自分の心を守る手段として、相手から気に入られる自分を演じる努力を無意識のうちにしてしまうようになりました。

派生して、自分が見捨てられ嫌われてしまうと、もはや生きてさえいけないと思ってしまいがちだからこそ、私たち当事者は相手の愛情を試す行為に出てしまうようになりました。

私たちがとってしまいがちな「相手を試す行為」が、嫌われたくないと願えば願うほどに相手にとっては迷惑でしかないことを自覚しつつも、障害ゆえにうまく自分をコントロールできないまま空回りする私たちです。

他者を巻き込み、迷惑をかけてしまいがちな自らの行動に対して、私たち当事者の殆んどは申し訳なく感じてはいるし(その努力の方向性自体そもそも間違っている場合も多々ありますが)どうにか自分を変えたいと努力しているつもりです。

迷惑であれば無言で離れてください。

もしも、私達を理解しようと思ってくださる方がおありなら、まずは「大丈夫だよ」と声を掛けて不安に揺れる私たちを安心させてください。それだけでも私たち当事者が闇雲に混乱してしまう場面はかなり減らせます。

私たち(境界性)パーソナリティ障害当事者は「かまってちゃん」です。
「かまってちゃん」でしかないことは、重々自覚の上で申し上げますが、わざと他人の気を惹くことを通じて、不安な感情に揺れる自分の存在価値を確かめたいという点こそが、私たちの障害の本質なのです。

かまってちゃんな言動の裏には、子どもの時から傷つけられ粗末に扱われたボロボロの「自分」が、傷みを伴って悲鳴を上げ続けているという点だけを、拙記事を読んでくださっているあなたの心のどこかにただ留めて頂ければ幸甚です。

境界性パーソナリティ障害と診断された私が五十歳を迎えて至った今の想い

死ねない以上、今は見えない希望を信じつつ前を向いて生きていくしかないな。私はそう考えつつ、現在もなお心が泣き叫ぶ自分をインスパイアし続けています。

最後に。
十四歳で乱暴された時点で「私のなかの時間」が停まったままだった「女の子」の私が、五十歳を前にようやく恋を知りました。

三十五年間の永きに亘り、自分のなかの時間が停まっていた私にとって、まだ男の人を好きになっている実感はなく、あくまで「男の子」が好きになったとしか今は言えませんが、最近になって交際中の彼が、私の障害を受容しつつ、私に正しい理解を示して「一緒に生きていこう」という約束をしてくれました。

恋も、そして愛というものも、私たち消費者にモノを買う意欲を湧かせ、経済の活性化という効果を狙い、さらには結婚という選択によって少子化を防ぐためのマスコミの策略であり、単なる「空気」みたいなものでしかないんだ。
穿った捉え方ですが、これまでずっとそのようにしか思えていなかった私でした。

しかし、そんな私が、現時点では「男性」としてという段階にはとても至れていないにはせよ「男の子」としての彼に対して、素直に好意を抱くようになりました。
それはこれまで誰のことも本当には信じてこられなかった私にとって、本当に不思議な体験の連続です。

うまくはいえませんが。
ずっと「どうせ自分なんて(いてもいなくてもいいんだ)」というふうな言葉しか言えなかった私でしたが…。
これからは彼に対し、愛情を推し量るべく試すのではなくて。
どうにか心から信じるように努力しつつ、例えこういう自分であっても、幸せになっていいんだ、幸せになる権利があるんだという考え方に変わりつつある自分が確かに存在します。

さらに。私のなかの境界性パーソナリティ障害と診断された自身に対する鬱屈にも似た想いは、今やっと「彼に相応しい女性になるために、自らを自分の手で育て直そう」という気概へと昇華しました。

これまで私が生きてきたなかにおいては本当にいろいろな困難がありました。
しかし、これからは弱い自分を正しく愛しつつ、彼のためにも、何より私自身のために、現時点では微かにしか見えない希望の存在を信じて生きていければな。
五十歳になった今、私は心からそう希っています。

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