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精神障害者との関わり方。関わりすぎは依存を生む温床に

この記事は50代の女性に書いていただきました。

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【中途半端な同情は逆効果!不調な精神障害者への対応】

先日、たまたまTwitterを覗いていたら、こんなつぶやきが見つかりました。
メンヘラ=精神障害者の特徴を言い得て妙だなあと、これまで実に30回以上もの精神科入院歴を誇る?私は頷いてしまいました。

差別だと非難を受けそうですが、敢えて私自身の経験から申し上げさせてください。その人の人生を背負い込める覚悟でもない限り、安易な同情から精神障害者の話をまともに受け止めないでください。

彼らを「治療」できるのは最終的には医者です。

一度彼らに同情心から共感を見せると、病気の症状によって自身をコントロールできなくなっている彼らはどんどんあなたに依存し始めます。そのような関係はいつかは破綻します。まずはあなたのほうが疲れてしまうでしょう。

疲れてしまったあなたがもしもご自身の心を守るために、SNSをブロックしたりLINEを既読スルーしたり、メアドや電話番号を変えて連絡を絶ってしまった場合、傷つくのは精神を病んでいる彼らです。

病気の特性上、精神障害者はすべての事象を悪いほうに受け止めます。あなたの疲れから来る拒絶を「裏切られた」と解釈することによって、彼らは余計に心が傷ついてしまうのです。

※しかしながら、当事者とトラブルになった場合、最優先すべきはあなた自身の心です。常識的に見て、余りにもしつこく絡まれる場合、ご本人は病気の症状でそんな状態になっているので、直ちに着信拒否やメール受信拒否、SNSブロックして構いません。その上でもしも可能であれば、本人の通っている医療機関や担当ケースワーカーなど、然るべきところに繋いでいただければと思います。

しかも、私自身を含めて精神障害を持つ人々は、このような依存と拒絶の挫折体験を繰り返す人生を程度の差こそあれ誰しも味あわされていて、人間関係上の挫折の繰り返しによってさらに病気を悪化させてしまう傾向が強いと知っておいてください。

トラブル実例・精神障害者との共依存は安易な同情心から始まった

実際に私が体験したトラブルを例に挙げてお話します。

※個人が特定されないよう、詳細なディテールはファジーにさせていただきますが、話の本筋については事実のままライティングしたいと思います。

かつて私が通っていた九州の精神科病院デイケアで知り合った彼女は、私より十歳以上年上、当時五十代後半でした。彼女と私とは10年くらい同じ病院に通院したこともあってか、かなり親密な関係でした。

精神科病院の中では、メンタルは病んでいても身体的には(向精神薬の副作用の影響は強く出ていても)元気で食欲旺盛な患者さんが圧倒的な中、私と彼女は二人とも同じように精神疾患と身体障害を併せ持つ重複障害者だった点も、私たちが特に仲のよかった理由でした。

その後、仕事の都合などで私は東京へ転居し、一方彼女はそのまま九州で療養生活を送っていました。遠隔地同士のお付き合いではありましたが、お互いに文通が趣味だったことから、数年は手紙でのやり取りが続いていました。

ある時、彼女の親御さんが亡くなったこと、それをきっかけに彼女はご兄弟の庇護を離れ、グループホームで自立を試みるという内容のお便りが届きました。それから間を空けず、グループホームで知り合った障害者の男性と、それぞれ同じアパートの別の部屋を借りた上で、互いに支え合いながら地域での暮らしをスタートさせるという報告を彼女からもらいました。

心身ともに極めて病弱な彼女は、それまでの人生の半分以上を病院で過ごすことを余儀なくされていました。だからこそ私は彼女の新しい人生を私は自分のことのようにうれしく感じ、また、ご自身もハンディキャップを抱えつつも彼女をパートナーとして選んでくれた相手男性に対しても、心から感謝した記憶があります。

ところが初めこそおノロケの手紙をくれていたのに、二人にとっての念願だった…アパート生活がスタートして一ヶ月も経たないうちに、幸せなはずの彼女から私宛に“悩みメール”が頻繁に届くようになりました。

――彼がしつこい、彼が私のお金を自分の遊興費に使う、彼が暴力を振るう…。

心配の余り、私が思いつく限りの公的な相談窓口を手紙やメールで紹介しても、彼女はこれといったモーションを起こしはせず、ただ私に宛てて愚痴メールを朝夕構わず送信し続けてくるばかりです。

そして、いつしかメールは直接の通話に変わりました。仕事中、マナーモードに入れてある私の携帯電話にはひたすら彼女の留守録が吹き込まれ、夜も「眠れない…」と彼女から電話がかかります。「明日も仕事なんだよ」と私が言っても「あと5分だけ話を聞いて」と訴える彼女の約束は、いうまでもなく反故になり、かまってちゃんな彼女は「話を聞いてくれなきゃ死んじゃう」と言いながら…1時間も2時間も延々マシンガントークを展開し続けるのです。

私はつい彼女が精神的な病気である事実を考え、なおさら無碍にはできないと思ってしまい、彼女から「もう死んじゃう」と言われてしまうと、まさか実行はしないだろうと思いながらも、万一の事故が怖くてだらだらと相手をしてしまう…毎晩そんなことの繰り返しでした。

彼女の訴えはさらにヒートアップしていくばかりでした。彼女が「今月はもうお米もない…そういえば、自宅にあるものだけでは間に合わない」と言うと私はなけなしの所持金から食べ物を買っては、彼女に「気持ちだけだよ」と言いつつ九州まで送ってあげたことも数回ありました。

さすがに彼女から現金を無心された折には「もう自分のキャパを超えているな」と考えて、かつて私自身もお世話になっていた精神科病院のソーシャルワーカーに、私は言葉を選びつつも彼女との経緯を連絡しました。

数日後、会社で仕事中の私宛にかかってきた電話の主は、信じられないことに彼女の交際相手の男性の福祉事務所の担当ケースワーカーでした。つまり、彼と彼女は、アパート暮らしを始めるにあたって、生活保護申請、すでに受給決定が下りていたのですが、私の知らないうちに彼女が交際相手ともども「私からの援助を受けていた」という話になっていて、職場に掛かってきたのはその「事実を知った」福祉事務所からの確認です。そして彼女たちにとっては赤の他人、身内でもない私に対する「二人への今後引き続いての援助」の可否を問う電話だったのです。

いろいろありましたが、最終的には彼女が正確な収入報告を福祉事務所にしていなかったことが原因だとされ、彼女自身の保護費が減額されることで決着がつきました。しかし、私も迂闊だったとはいえ、職場にまでそういう電話を掛けられて、オフィスでも変な目で見られて非常に困惑しました。

以来、私は彼女とも交際相手の男性とも一切の連絡を絶っています。携帯電話や固定電話の番号やメールアドレスも変更し、郵便物も受け取り拒否の手続きをしました。自業自得だとはいえ、今でも私にとってはトラウマになったままの想い出です。

精神障害者との「共依存」

私の体験は極めてレアケースかもしれません。きっとその奥には精神疾患に対する私の認識不足もあったでしょう。私の中に存在する差別にも似た感情が、彼女の自傷や万一の事故を過剰に懸念させ、その結果彼女に不必要な支援や配慮をしてしまったのも事実です。

間違いなく言えるのは、精神障害者との交際上のトラブルは現実に「起こり得る」ものであり、最初は友情だと信じ込んでいても、いつしかその友情が“同情”にすり変わって、実際のトラブルに結びついてしまったということです。

本当は彼女だけが「かまってちゃん」だったわけでは決してないんだという気もします。要求がヒートアップしていくばかりの彼女のムリな願いを聞き入れて対応することで、彼女は私を友人だと思って頼ってくれているのだ。そう思い込んで「必要とされている自分」を確認したかった私もまた、彼女同様「かまってちゃん」でしかなかったのです。

今だからこそ冷静に当時を振り返り、自分を顧みている私ではありますが、彼女が私に対し過剰に依存していたのと同じように、私自身もまた、彼女に必要とされるのだと思うことによって自分の存在価値を確認していたのでした。つまり、私も彼女の心を利用し、彼女の心に「依存」していたのです。

過ぎたことだからこそ言い切れるのですが、彼女と私の間にあったものは友情でも愛でもなく「共依存」という名の最低な人間関係でした。本当のところでは、誰かに必要とされたい、そう願いつつ私も彼女の存在を利用していました。彼女以上に私もまた、自分でも気付かないうちに心病んでしまっていたのでしょう。

病気の症状に併せて、絶対的に希薄な患者の社会経験

個人的な見解に過ぎませんが、精神科病院で親しくなった友人とは長続きしない気がします。私に限らず、一般就労していた、高等教育を受ける機会があったなど、リアルな社会経験がある患者さんは大体そうおっしゃっています。

精神疾患の特徴として、十代の多感な時期に発症し易いということが挙げられます。かつて現在でいう統合失調症を「破瓜病」と呼んでいた時代がありました。破瓜とは十八歳の別称です。つまり、それくらいの時期に突然妄想や幻聴が現れる病態の精神疾患が非常に多いことを示唆しているといえます。

早ければ小学校の高学年や中学生の時期にそういう病状を示す患者さんもいます。妄想や幻聴などの陽性症状、そしてその後に続く陰性症状が重症であればあるほど、長ければ長いほど、患者さんは入院治療を含む「リアル」な社会から切り離された状態に置かれます。

今ではかなりそのようなことは減ったと聞いてはいますが、平成の初めくらいまでは、義務教育すら完全に保証されていないまま、卒業証書だけはもらいましたという精神科の患者さんは少なくはありませんでした。そのような状況では就労経験も当然ありません。

そういう患者さんにある程度社会経験がある人が善意で関わったとしても、自ずと限界があります。大体のパターンとして病状の悪い患者さんが、仕事をした経験を持つ患者さんやうつで休職中の患者さんに憧れもあって近づいて依存。結果として依存されたほうは心労で病状悪化、依存したほうも医療スタッフなどに「仲よしの友だち」だと信じていた相手と不本意な理由で離されて調子を崩して入院…みたいな最悪の流れになってしまいがちです。

精神科病院によっては治療上の観点から、病棟内での男女交際禁止、デイケアでのメールアドレス交換禁止などの決まり事を設けているところも少なくはありませんが、患者同士のトラブルが続出している現実を考えれば、医療機関においては人権云々以前に治療第一である以上、やむを得ない気もします。

支援者が疲れを感じた時点でアウト!患者さん対応は無理しないで

これらは患者さん同士のトラブルに限りません。患者さんのご家族や学縁や職縁、地縁といった繋がりの方であっても、ご本人へのよりよい支援を保障するためにしっかり頭に入れておいていただきたいと思います。

精神疾患をお持ちの患者さんは病気の症状のために時に甘えが強く出ます。程度の問題はあると思いますが、相手の都合や時間を弁えない悩み電話から金銭の無心まで、患者の甘えにも様々なケースがあります。

患者さんの相手を務める側が疲れを感じる時点ですでにアウトの状態です。患者さんのためにもうまく医療関係者に繋いでいただきたいと願います。なぜかというと、患者さんを「治療」できるのは最終的には医療だけだからです。周囲はご本人を支える以上のことはできないのです。

もしもご家族や親しいお友達から見て、患者さんご本人の受けている治療の内容に疑問を感じる場合には、あくまでもご本人の主治医と納得いくまでお話されてください。患者さんご本人には決して直接指摘されないでください。周囲からの刺激に弱い精神科の患者さんは混乱し、病状によってはうまく進むはずの治療もうまくいかない場合もあり得ます。

精神障害者に対し最初にルールを明確にすることでトラブル回避

もしも患者さんの力になってあげたいと思う場合には、予めご本人のわかる表現でルールを明確にしておきましょう。例えば、患者さんと支援するお友達との連絡の仕方であれば以下の通りです。具体的な時間帯や曜日などをはっきりさせておけば、後々のトラブルをかなり回避できます。

・夕方6時から夜10時までは電話してきてもOKだけど、それ以外の時間はダメだよ

・メールは大丈夫だけど電話は土日以外は出れないよ。出れない時にもしつこくしないでね

・LINEは場合によっては既読スルーするよ。わざとではなく都合が悪いのだからしつこくしないでね

※支援する側の精神衛生上「しつこくしないで」は大事なキーワードです。

余りにも患者さんを小ばかにしている印象を受けられるかもわかりません。しかしながら、そもそも社会経験が希薄な上、病気の症状で甘えが強く出ている患者さんとのやり取りです。ルールは明確にして置いたほうがお互いの幸福のためです。

SNS上で精神障害者に関わる際、お互いの心を守るための注意点

最近ではSNSで精神障害をお持ちの方と繋がる機会も多くなりました。場合によっては「いいね」を押しただけで友達になってくれたのかと思い込み、結果SNSのDM機能で延々絡まれることも少なくありません。万一「ウザ絡み」されても特別(直接的な)面識がない相手であれば無視を決め込むほうが無難です。

レアケースですがSNSで知り合った精神疾患を持つ患者が、相手に無視されたという妄想から自死したという「事故」も起こったと訊いたことがあります。これも「事故」でしかなく、もっといえば精神疾患という「病」によって病死したのです。

健康な方に病気の方の苦しみはわかりません。精神疾患だって病気のうちです。自死と捉えず敢えてドライに「病死」だと受け止める視点も、SNS全盛の現代社会においては必要な心の守り方なのかも知れません。

あくまでも相手は病気だという現実を念頭に置きつつ当事者に関わる

いずれにしても、お互いに疲弊して共倒れするのが一番よくないパターンです。相手は病気なのだということを正しい意味合いで頭に置いて、ご本人の負のペースに巻き込まれないようにしましょう。

先に挙げた女性患者さんだけでなく、私自身精神科病院で知り合った患者さんから金品をしつこく要求されて困惑した経験がかなりあります。患者さん同士のもののやり取りがNGであることはもとより、周囲の方も困窮されているご本人を前にお金を渡してはいけません。一回だけ、というのはご本人の甘えを助長させてしまいます。食べものその他も同じです。

障害をお持ちの方ご本人の困窮は社会が救済すべき問題であり、そこには周囲の介入だけではどうしようもないという無理と矛盾とを孕んでいます。

※ご本人に制度を教えてあげたり、役所に各種手続きの申請に行く場合の付き添いくらいは応援してあげても差し支えない場合もあります。しかしこれも程度問題です。ご自身のお仕事を休んでまで…というほどのバックアップは必要ありません。関係省庁との交渉事に慣れたボランティアも地域には数多く存在します。ボランティア団体、NPO法人によってはご本人に当座を凌ぐための食糧や住む場所だけは支援確保するというところもあります。

ストレスに脆弱な患者をさらに疲弊させる向精神薬の副作用

精神科の薬(向精神薬)は一種の麻薬であり、神経を麻痺させ高揚させ、しかも高い依存性が認められている危険な薬物です。当然、精神科医の処方がなければ入手はできず、本来は医師がきちんと管理の上服薬させているはずではありますが。

精神疾患という病気の特性上、治療には極めて長い年月を要し、過剰に処方投与されてされていない場合であっても、薬を長い期間服用しなければいけない場合が殆んどです。しかも、向精神薬は成分上麻薬と大きな差がないため、本当に依存性が高く、いきなり断薬すれば激しい離脱症状に苦しめられて、さらに病状が悪化して増薬という結果になってしまいがちです。

そういう薬を常時服用しなければ不安定になって、当たり前の日常生活を送れない精神科の患者さんは、健康な方よりも疲れやすいということは説明するまでもないでしょう。

精神障害者の就労がうまくいかない本当の原因

ストレスに対して脆弱である上、薬の影響で心身ともに疲弊している患者さんは運よく就労に結びついたとしても、仕事のストレスに併せて、薬の副作用によって心身が怠くて仕方なくて朝は起きられない、起きられなくて遅刻や欠勤…というケースが本当に多いのです。

実際、精神障害者が障害者雇用制度を活用して就職に辿り着けても、就職後3ヶ月以内に精神障害者の実に三割以上が病状悪化やストレス過多を事由に退職し、1年間仕事が続く方は全体の半数に満たないとの調査結果があります(独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構「障害者職業総合センター」2017 年4月発表)

これらにしても精神障害者自身にしてみれば「病気の特性上」そうならざるを得ないわけですが、受け入れ先である職場にしてみれば「いい迷惑」でしかなく、だから(精神)障害者は我儘なんだ、使えないんだ…という話になりかねないのです。

プロの物書きである私も、自身が心身に障害を有することもあり、少しでも彼らに雇用の場をという願いから、多い時は一度に五人、精神に障害をお持ちのアシスタントさんに対しアルバイト的にご依頼、仕事をお手伝いいただいていました。

しかしアシスタントさん同士のいざこざが多い上、一番の繁忙期に突然体調不良を理由に休まれるならまだマシで、いきなり一切の連絡がつかなくなることもままあり、私自身の仕事の激減とそれに伴う収入減少によって、現在はとても皆さんにお仕事をお願いできる状況ではなくなりました。

プライベートな人間関係もうまくはいかない精神障害者の現実

仕事の場面だけではありません。単なる遊びの約束であっても体調不良で当日ドタキャンが頻繁な彼らは、本来の社会経験が余りなく、病気を理由に親御さんが相当に甘やかしている場合も多くて、約束を反故にされた相手の怒りに対して「どうしていけないの?体調が悪かったんだし仕方ないじゃん」といった態度をとってしまいがちです。

それがさらに約束を守ってもらえなかった相手の反感と怒りを買ってしまい、以来友人からの一切の誘いを受けなくなったご本人は「友達だと思っていたのに裏切られた」と凹んでさらなる病状悪化…のダメ・スパイラルを繰り返すことになります。

人間関係は同情の上に成り立つものではありません。本来は対等であるべきです。

本当の障害者差別、そして真の健常者との共存とは

日本は障害者、とりわけ精神や知的な障害には非常に冷たい社会だと言われています。私もその点は強く実感しており、今後もっと社会の理解と受容が進んでほしいといつも心から願ってはいます。

ただ、一個人が何でも背負い込めるのかといえば当然違います。社会的な認知すらなされていない精神障害者をただ単なる善意から安請け合い的に受容しようとしても、おおよそ無理が生じてその関係は脆く破綻してしまうでしょう。

また障害者でもいい人と悪い人、努力を怠らない人とそうでない人が存在するのは、健常者のそれと何ら変わりありません。障害があって可哀想だから緩くてもいいよね、甘やかしてもいいよねという感覚は、場合によっては本人の甘えを助長し、もしくは日々の努力に対して正当な評価を為していないということに繋がりかねず、別の意味でひどい差別だろうと思います。

決して生産的なことをやれ、就労しろと言いたいのではありません。障害の有無に関係なく、自分にできることは誰もが精一杯真摯に取り組むべきでしょう。そのために周囲の人にも本当に障害当事者の成長に繋がるような支援をお願いしたいのです。

例え経済的支援やサービスを利用はしていても、生活保護費や障害年金をきちんと遣り繰りして自立できるのであれば、それも立派な「自立」だと私は考えています。

適切な距離感を保ちつつ長いスパンで当事者と関わるには

病気の治療や、経済的支援を含むご本人の生活介入については、医療や福祉の制度が網羅すべき部分であり、その辺りは素人が首を突っ込むよりもむしろ、専門家や関係機関にお願いしたほうが、後々お互いの関係性を悪くしない秘訣だろうと思います。

何でも全て「私に任せて」というスタンスは、お互いを共依存の沼に引きずり込む原因になりかねません。それよりは予めきちんとルールは設けた上で、支援される皆さんがあくまでも無理のない範囲で少しずつご本人を細く長く支え続けていったほうが、患者さんご本人の回復のためにも、皆さんの精神衛生的にもずっといいのではないかと、私自身の失敗も踏まえて痛感する部分です。

具体的にはできない約束はしない、病気だからという理由では何でも好き勝手させない(本当に病状が悪い場合もあり、素人には見極めが難しいことも多々ありますが、そのような際には医療機関にお願いしましょう)、支援する側が我慢しないという三点が、精神障害者と誠意をもってお付き合いする上で重要なことだと思います。

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