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精神科医療の問題点。治療途中で放り出される患者が起こすトラブル

 

この記事は前田穂花さんに書いていただきました。

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 はじめまして、前田穂花です。もうすぐ五十歳を迎える私は、かつて自身の発達障害を「精神分裂病(当時)」と誤診され、これまでに33回に亘る精神科病院への入退院を余儀なくされました。

 精神科医師による過剰な投薬の結果、私は全身の筋肉が弛緩し、薬物性パーキンソンニズムの症状を呈して常時車椅子が必要な状態に陥りました。

 そういう重い過去を持つ私・前田穂花が敢えて自身の名前を晒すことでしか訴えられない「精神科医療」の抱える問題点、これまで公の場で語られることがなかったダークネスな部分に迫っていきたいと思います。

 かつて私が住んでいたマンションの真下の部屋に精神障害者手帳3級所持・統合失調症の女性が単身で住んでおられました。昼夜逆転している彼女は時折妄想や幻聴という症状が生じるのか、頻繁に近隣トラブルを繰り返していました。深夜にドアをガンガン叩いたり、顔を合わすたびに怒鳴ってきたり、私の所有する車椅子を壊されたり…と、本当に困惑しました。

 そういう病状なので、マンションには頻繁にパトカーも来る状況ですが、警察官が到着する頃には彼女の高揚し切った気分も落ち着いていたりするので、常に「厳重注意」のみで終わります。

 私も困り果てて住所を管轄する警察へ相談に出向きましたが「精神障害者手帳を所持する場合は、医療や福祉が対応する範疇であり、基本身元の確保はできない」とのお話。

 だからといって医療も福祉も実際には余りあてになりません。そういう病状なので、トラブルばかり起こす彼女は、私がマンションに居住していた1年足らずの期間に二度措置入院(強制入院)の決定が下されました。しかし完全に本人の病状が安定しないうちに、彼女のお母さんが「保護者」として退院を申し出て、彼女はお母さん名義で借りている問題のマンションに帰ってきてしまうのです。

 しかしながらお母さん自身、娘の暴力から逃げて別居したという経緯があり、ひとりになった彼女は自ら叩き割ったガラス窓から指す僅かな光以外、照明器具を点けることもなく引きこもりを続けては、また病気の症状によって混乱してトラブルを起こすという繰り返し。

 そんな彼女に私以外の住民も困惑していました。役所の障害福祉課や福祉事務所、地元の保健所など、彼女のことはいろんな方々が相談に持ち込んではいました。それでも個人情報の絡みが厳しくなった昨今、行政機関もまた警察同様、彼女の処遇に関し口ははさめないとのこと。いつも「(彼女の)保護者であるお母さんが申し出てくれれば多少は…」みたいにお茶を濁されて終わりです。

 彼女のお母さんが家賃だけは遅れず納めている手前、管理会社も彼女(実際の借主はお母さん)に対し、退去を迫れないとの話で「ガマンしてください」の一点張りでした。最終的に私のほうが引越したことで、彼女とのトラブルからは「逃げられた」のですが…彼女は今落ち着いているのかな。少しは適切な支援が介入して安寧の日々を送れているのかな。

 精神の病気の症状から来る混乱である以上、彼女本人をむやみには責められないがゆえに、今も思い出すと心が苦しくなってしまいます。みんながその適切な支援の必要性に気づきながらも、法律が邪魔をして救われない「一番の被害者」としての階下の彼女。

 ほか…私が精神科医療の中で出会った様々な当事者の方々の記憶と彼らの(悲惨な)末路などを通じて、本当は何が一番問題だったのか整理しつつ振り返ってみたいと思います。

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放り出される患者達

 かつて、精神科病院の果たす役割として求められている目的といえば、精神疾患によって「自傷他害を起こす恐れのあるもの」を社会から隔離することが殆んどでした。

 しかし、病状によっては隔離や身体拘束をも余儀なくされる精神科医療が、ともすれば重大な人権侵害に繋がることも多く、沢山の患者さんの犠牲と医療関係者の反省のもと、精神科医療も閉鎖的だったこれまでの仕組みからオープンなものに変えていこうという機運が高まりました。

 関係法令の限界なのか、現在の精神保健福祉法上では基本的に病状の回復度合いはほぼ無視されて、最長三ヶ月が経過すれば大抵の入院患者は事実上何のアフターケアも保障されないまま「地域で暮らそう」という大義目分のもと退院となります。

 精神科の患者さんであっても、あるいはこの頃話題になっている認知症のお年寄り(大体はこれまでの統合失調者患者に代わる精神科病院の新たなお得意様になっている現実が否めませんが)であっても、自分では権利主張が図れない重度知的障害者であっても…どのような方々であろうとも、できる限りの開放的な処遇が保障されなければならないことは説明するまでもありません。

 しかしながらそれが拡大解釈、運用されてしまっているがために本来ならばまだ治療が必要な患者さんや、あるいは現状の福祉のシステムのなかでは、地域での自立生活が困難な状態の方までもが、一切の適切なケアにも繋がれない状態のままに、悪い言い方を敢えてするならば「野に放たれてしまって」しまっているのです。

 実は、社会で問題を起こしてしまう精神障害者や知的障害者などの殆んどは、このような必要な治療や支援が現行法の限界のために途中で打ち切られてしまった方々です。

 あくまで病気や障害が災いし、それでパニックを起こして混乱をきたし、社会に迷惑をかけている当事者には責を問えないのだとしても、社会にはそれほどの許容できるほどの力はありません。人間も寛容にできてはいません。

 他人事だと傍観できている間はまだしも、例えば自分の子どもや高齢の親が暴力を振るわれた、自分の持ち物が壊された、家族の一員として大切に飼っていたペットが傷つけられ殺された…となれば、もうその相手方だけでなく「全ての障害者はこの世から直ちに消えろ!」という想いにに至っても致し方ないことです。

 しかしそれら「触法障害者」は身柄を確保しても起訴に至ることはほぼなく、だいたい「厳重注意」または「当事者同士で解決してください」と警察そのほかも動いてはくれません。そうなったら地域も「自分のことは自分で守らなければ」そういう発想が強まり、きちんとできる障害者等までも「排除」という流れに繋がりがちです。実際に精神障害者には部屋を貸してくれないことが多く(東京都は特に)、一度精神科医療を体験した人を受け容れない社会の発想はさらに強まる一方です。

 単に医療が必要でない人には過剰に提供せず、逆に治療や支援が必要な方にはいついつまでという期限は設定せずに手厚くすればいいだけなのですが、そうはいかないのが「お役所仕事」の限界なのでしょうか。

 家族が最後まで責任を以て面倒を見ればいい、という意見も多く耳にします。ですが社会の経済状況や価値観も日々変化するなか、特に障害や問題行動が長期化し、且つ本人や家族が高齢化すればするほど「家庭」の機能はキャパ越え、家族は経済的にもマンパワー的にも疲弊し切っているのも事実です。

 あるいは「福祉の制度があるだろう」という意見も見聞きしがちですが、福祉が国家予算及び自治体予算を逼迫している現状では、単純に財源が不足しているために、生活保護者の長期入院には生活扶助や医療扶助の減額という「ペナルティ」が課されます。時には「そんなに長く入院しているなら住まいも要らないよね」と住宅扶助自体が切り棄てられ、自宅を失くしてしまうケースも皆無ではありません。

 保護費が減額されることはそのまま死活問題にも繋がりかねないことから、生活保護の医療扶助で入院している患者さんは精神科一般科関わらず、きちんと回復がなされていないままムリして退院してしまい、帰ってきた途端に症状が再燃してパニックを起こし近隣トラブル…という不幸な結果になるケースも少なからずあります。

 本来であれば誰しも地域で自分らしく暮らしたいものです。ただ、関係法令が柔軟に運用されないことが原因で、病状が悪い患者さん、手厚いケアを要する当事者が一羽一絡げに、社会に「放たれて」しまうことが、二次的な不幸をさらに強めていきます。「人権」の関係上罪に問われない。そうなれば「自分とは違う人たち」に対しては社会は自己防衛策として「排除」に向かうのは当たり前だともいえます。

「精神系の患者には責任能力が問えない」と「一定期間しか医療や支援が保障できない」という矛盾が複雑に絡まって、誰が得しているの?的な状況に陥っているという事実をまずは皆さんに知っていただきたいと思います。

 精神系の患者や障害者の問題は綺麗事の理想論だけでは語れません。よく障害者を「天使ちゃん」と比喩する表現がありますが、障害者も元来人間です。人間である以上病気もするし歳を取ればみんな弱って判断能力も落ちる。「天使ちゃん」という表現には逆に「お前は人間の世界ではアウトローなんだよ」と言われているようなニュアンスを嗅ぎ取って不快感を感じてしまうのは私だけなのでしょうか。

[参考記事]
「アイドル志望の少女が性的虐待を受け、精神科病院に強制入院させられるまで」

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