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風邪の時の点滴でアレルギーに。あと少しで死ぬところだった

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この記事は20代の女性に書いていただきました。

……….

そのとき、私は20代前半でした。
一人暮らしをして、仕事も充実していて、友達もいて、毎日が楽しかったころでした。

風邪をひいて近所の内科医を受診したことから、その生活は一変しました。
一人暮らしなので熱があるときに遠くの病院へは行けません。
とりあえず近いからという理由で、その病院を受診しました。

よくある個人経営の病院で、それまで健康に過ごしてきた私は、初めてその病院の門をくぐりました。
待合室で体温計を渡されて熱を測り、やがて呼ばれると医師に「喉が痛い」「身体がだるい」などの症状を訴えて、診察は3分ぐらいで終わりました。
熱が高かったので点滴(これが抗生剤のロセフィンでした)をすることになり、点滴が終わると少しだけ体が楽になっていました。

ロセフィン点滴から2週間後に突然の高熱

それで風邪はよくなったはずでした。
ところがそれからちょうど14日後、突然40度近い熱が出たのです。
ふたたびその病院を受診しました。
医師は面倒くさそうな顔をして、「風邪だな」と一言だけつぶやきました。

その日は解熱剤の注射(抗生剤のロセフィンではなかった)を打ってもらい、一旦は熱が下がったのですが、夜になるとまた40度に逆戻りしてしまいました。
いつもの風邪なら、解熱剤で楽になるのに、このときはほんの2~3時間だけ熱が下がっただけで、またぶり返したのです。
今にして思えば、これがアレルギー症状の始まりでした。
のちに私は「ライエル症候群」というアレルギーだと診断されますが、この病気はアレルゲンをとりこんでから2週間後に発症するのが特徴です。
医師はロセフィン点滴後ちょうど2週間であることを見逃していたのです。
風邪だという医師の言葉を信じて、高熱が下がらないまま3日ほど我慢しました。
ところがただの風邪のはずなのに、熱は一向に下がりません。
あまりの苦しさに、3回目の受診をすることにしました。
しかしこの日も医師の態度は相変わらずでした。
飲み薬の種類を変えて解熱の注射を打って、それで終わりでした。これだけ高熱が続いていても、血液検査すらしませんでした。

高熱が下がらないまま全身に赤い発疹が出た

そしてその次の朝、容体は急変しました。
全身にくまなく赤い発疹が出て、口の中もただれてひび割れ、血がにじんで痛みで水を飲むのもつらい状態です。
皮膚はかゆみがありましたが、掻くと焼けるような痛みがあります。
これがただの風邪のはずはありません。
驚いて4回目の受診をしたのですが、全身に赤い発疹ができた私を、医師は汚いものでも見るかのような目で見て、「薬疹だな」とだけつぶやきました。
薬疹についての説明もなく、当時の私には「薬疹」が何なのかさえ分かりませんでした。

このときようやく、医師は薬のアレルギー症状であることに気が付いたのですが、説明すらしない医師の態度に不信感を持った私は、友達の助けを借りて、車で総合病院に連れて行ってもらうことになりました。

転院してようやくまともな治療を受けられるようになった

初対面のその医師は、私の状態を見て、即日入院を言い渡しました。
入院は経験がなかったので不安もあったのですが、「このままだと重い臓器障害が残るから」と説得されて、入院することにしました。

今思うと、重い臓器障害どころか、死んでしまう可能性もあったのです。
そしてようやくアレルギーの治療が始まりました。
ほとんど何も飲食できていなかったこともあって、栄養補給のための点滴やアレルギー治療のためのプレドニン投与など、最初のうちはトイレ以外はベッドから動くことができませんでした。

肝機能が落ち、顔が土色になり、血尿・血便もあり、一応食事は出してくれましたが、口の中がただれて痛みで何も食べることができず、食べられない自分が情けなくて泣きました。
薬を飲むために水を飲むことすら痛みがひどくて毎日が苦痛でした。
全身の赤い発疹は皮膚の表面だけでなく、口、胃、腸など、体中の粘膜がただれた状態だったそうです。
そんな状態の私に、その病院の医師や看護師はいつも優しく、あの医師のような汚い視線を向けることはありませんでした。

退院する時に初めて知った自分の病名「ライエル症候群」

入院生活は結局1ヶ月に及びました。
最初はどのぐらい入院するのかすら知らされていなかったので、予想外に長い入院生活となりました。

しかし退院する時にはほとんど不自由なく食べられるようになり、他の病室の人と談笑できるまでに回復することができました。
そしてその病院の主治医から最後に言われたのは、「生きて退院できる可能性は7割しかなかったライエル症候群」という病名でした。
全身にできた赤い発疹の痕は、消えるまで半年ほどかかりました。
周囲の人に顔をジロジロ見られるのがつらかったです。
薬によるアレルギーは予測不可能だとしても、最初に抗生物質アレルギーだとわかっていたら、これほど長く苦しい思いをしなくてすんだのに、と今でもあの医師の対応には疑問を持っています。
あのまま転院しなかったら、どうなっていたでしょうか。
アレルギーを起こしていたのに、風邪だと言い張り続けた医師の言葉と、全身の発疹で苦しんでいた私を汚いものでも見るかのような目で見たあの視線だけは、今でも許すことができません。

[参考記事]
「バファリンの副作用でアナフィラキシーに」

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