Read Article

広告

乳がん体験記 佐藤さん編④乳がんの手術(術後の写真あり)

 

この記事は「乳がん体験記 佐藤さん編③乳がんでの入院とステージの告知」からの続きです。

…………………………記事はここから

手術当日は朝から何も食べないで、手術までの時間を過ごしていましたが、緊張と不安から生きた心地が全くしませんでした。

また、ネガティブな思いが次から次へ湧いてきて、泣きたくなる気持ちを抑えるのがやっとでしたね。
「手術が失敗するのではないだろうか」
「癌が全て取りきれず、残ってしまったら、どうしよう」

しばらくして、看護師さんが手術用の着圧靴下と手術着を持ってきたので、それに着替えて、「まな板の鯉、それも自分からまな板に乗るために歩いているなぁ」と思いながら手術室まで歩いて行きました。

手術室入口で入院中に挨拶に来てくださった看護師さんと執刀する担当医が待っていました。医師は人違いを防ぐために「お名前は?」って訊いてきたのですが、その時、とびっきりの笑顔で私を見たのです。執刀医は診察室とは別人かと思うほどハイテンションで、私は少し戸惑ってしまいました(笑)

今から手術する私を安心させるための笑顔だったのでしょうが、診察している間は目も合わなかったこともあり(初診の時から毎回)、少し違和感がありましたね。これからの手術が楽しみなのかとさえ思えました。

その後は手術台まで自分で歩いていき、その上で横になったのですが、緊張が今まで経験したことがないほど高まっていました。

そして、「麻酔を入れますので、意識が無くなっていきますね」と言われ、しばらくしてから意識は完全になくなりました。

手術直後に医師が家族に対して「手術は成功したこと」「転移がないこと」を説明し、トレイに入った切除した癌を家族に見せてくれました。大きさは握りこぶし1個分くらいの組織があったそうです(私は麻酔で意識が無いので、見れませんでしたが)。

乳房は全摘出ではありませんでしたが、それでも以下の写真のように大きく切除されています。
2016-07-01_105451

麻酔が切れて病室に戻っても酸素マスク、心電図などが繋がっていて、まるでドラマのワンシーンみたいでした。家族が心配そうではなく、手術が成功したことに安堵していることが何故だか悲しかった。

もちろん手術でガンが無くなったことは喜ばしいことなのですが、自分の体が自分の体でなくなったような喪失感が大きく現実を受け止められなかったのだと思います。手術が成功した喜びよりもオッパイを大きく切られたことによるショックの方が大きかったのです。

その状態の私に、父親は無神経にも「ワインで乾杯してきた」と言ってきたため、やんわりと帰ってほしいと伝えた。オッパイがなくなってしまったことを喜んでいる父親の顔はこれ以上見たくなかった。

泣きたい思いは強かったけど、泣けば同部屋の他の人に聞こえるので、泣くこともできず本当に辛い術後生活になりました。

手術後は許可が出るまで絶食で水も飲めないため、口をゆすいで乾燥を防ぐように言われたが、付き添いがいなくて、うがいが出来なかったためか風邪をひいて熱が出てしまいました。手術した翌朝から普通食が出たのですが、風邪のせいで全く食べられませんでした。

翌日、担当医が外来の診察前に手術の縫い目を診に来たのですが、「キレイ、キレイ」と満足そうでした。「眠れましたか?」の一言もなかったのが、変に印象的でした。眠れなくても、食べられなくても外科の医師には、関係ないのでしょうか。

手術後2日目に縫い目を覆っていた圧迫帯が外されて、おおざっぱな縫い目と対面してショックを通り越してしまいまいました。

もう胸は見たくない、受け入れることは不可能でした。同部屋の女性は最新の小さく切る手術をされていたので、乳輪に沿って縫い目があるだけでキレイになっていましたが、そのことが私を余計に辛くさせていました。

私の手術は最新式の手術ではなく、大きく切除してしまう旧タイプの手術でした。本当は最新式の術式で行ってもらう予定でしたが、旧式の手術の方が術後は安心だと信じて父が旧式を選択しました(小さく切って再発するといけないと思っていたようです)。

その後はゴハンを食べて寝るだけの入院生活で確実に身体は回復していくのを実感していましたが、精神状態は逆にうつ状態になってきていました。睡眠導入剤を飲んでも眠れない日も出てきました。もう普通にしていることに限界を感じていた術後4日目に明日退院していいと言われて早々に退院する手続きをしてもらいました。

次の日、1分でも早く帰りたいと自分で会計も荷作りも済ませて迎えに来た夫を待って帰りました。家まで待てず、帰る車の中で不満を爆発して大声で泣きました。そこからは泣き疲れて眠る、目が覚めては泣く日が続きました。

夫から「キレイに再建してくれる病院があるから再建してもらおう」と言われるまでは再建のことを考えていなかったことは不思議ですが事実です。お風呂のたびに泣いてはいましたが、再建のことを調べ始めてからは泣くことも減りました。

退院後の初めての診察で、担当医から「良い報告と悪い報告があります。良い報告は癌の顔つきは悪くなく、進行の遅い癌です。浸潤性小葉癌という癌です。悪い報告は手術後に取り除いた部分に取り残しがあります。断片陽性と言って、よくあることです。今から、手術しませんか?今度は小指1本分くらい取るだけですよ。腫瘍の大きさが3cm以上あり病態はⅢ期と同等になりますので(初めの診断ではⅠ期でしたが、Ⅲ期へ変更)」と言われましたが、「これ以上切られたくない」と断りました。

外科手術以外の治療はホルモン療法と放射線治療が適するということでしたが、その場では断りました。カルテには「説明したが治療拒否」と入力されましたが(笑)

結局は断片陽性で再発のリスクがあるということで放射線治療だけは受けることになりました。再建は放射線治療後2年経過して再発がしなければしていいそうです。

……………記事はここまで

続きは

「[乳がん体験記 佐藤さん編⑤]乳がんの手術後の放射線治療」

LEAVE A REPLY

*

Return Top