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乳がん体験記 佐藤さん編①乳がんの発見とマンモグラフィ検査

今回の記事は実際に乳がんを患った女性(佐藤さん)に書いていただきました。

佐藤さんは乳がんでステージ3の宣告を受けており、乳房を一部摘出しています。

その後、その部分の再建手術を行っています。

その全ての体験を書いていただきます。

…………………体験記はここから

最初に乳がんかどうか気になったきっかけは夜寝るときに自分の右胸にゴロゴロするものがあることに気付いた時です。

そのゴロゴロするものは3センチ大のしこりで、気になって何度も触って確かめました。

朝になって、「これ何だろう?何だと思う?」と息子にも触ってもらったのですが、もちろんそれが何なのかは分かるはずがありません。

息子は「今日、病院に行って診てもらってきて。」って不安そうな顔をして私に言ってきましたので(私も気になっている時間が嫌だったので)、病院で診察してもらうことにしました。

「病院の何科を受診したら良いのだろう?」と少し考えましたが、 「おっぱいだし婦人科でいいか」と近所に新しく出来た婦人科クリニックに行ってみました。

初診だったので問診票に『胸にしこりがあって気になる』と書き込んでおいたこともあり、先にエコー検査をすることになりました。

モニターを見ながら、医師は

「うーん、ガンの可能性が高いですね。モニターに映る赤い部分は血流があることを示し、ガンではなく「ただのしこり」なら赤く映らない」と説明しました。

すぐにそのクリニックが提携しているマンモグラフィを撮影ができる病院を予約してくれて、結果が出たら電話をしますと事務的に言われました(マンモグラフィをした病院とクリニックが共同して画像から診断結果を出すそうです)。

愕然としている私に医師は「次の受診までに治療を受けたい病院を自分で決めてくるように」と言いました(受診したクリニックは小さいので大きな病院を自分で探さなくてはいけなかった)。

病院を自分自身で選択できることは有難いのだろうが、私の頭はガンかもしれない事実を受け止めて、泣かないようにするだけで精一杯でした。

「病院を調べなきゃ、落ち着かなきゃ」と思いながらも、その日は友達とのランチの約束がありましたので食事をしましたが、手の震えが止まらず何度も何度も食べこぼしてしまった(ガンであることを話せば場の空気を悪くするからと平静を装っていましたが)。

友だちの会話は全く入ってこず、ただただ早く家に帰って泣きたかった。

「ガンの可能性があります」と言われた2日後にはクリニックの提携病院でマンモグラフィ検査を受けました。

マンモグラフィ検査は初めてでしたが、ガンかもしれないと思うせいか意外と痛くありませんでした。

結果は2~3日後に出ると言われ、その日はこれで帰りました。

家に帰ってからは先生から言われた「治療する病院」を探そうと思いましたが、知識がない、知り合いに医者もいない(友達にも心配かけるから相談できない)…仕方なく、パソコンを立ち上げ、検索エンジンに『乳癌・名医・大阪』と入れて検索しました。

検索結果を見ても『ガン』の文字を目で追うことで辛さが増してしまい、なかなか調べられなかったのが正直なところでした。

しかし、「探さなくちゃ生きられない」という気持ちが強く、最終的には国立大阪医療センター、大阪府立成人病センター、南大阪病院の三つに絞りました。

どちらでも良いかなと思いましたが、家から近い乳腺外来のある南大阪病院を第一候補にしました(南大阪病院はマンモグラフィ検査を受けた病院)。

その後、クリニックにマンモグラフィ検査の結果を聞きに行きましたが、残念というより当然という感じで医師から

「ガンです。どこで治療するか決めましたか?」

と言われましたので、私は

「通いやすい南大阪病院がいいです」

と答えました(この時にはまだガンのステージは分かっていません)。

さっきまで事務的だった医師が少し焦り気味に

「自分の家族だったら勧めないな。」

そこで私は「国立大阪医療センターか大阪府立成人病センターは?」と先生に尋ねたところ、「いい選択ですね、成人病センターに予約して紹介状を書きますね。待合室で待っていてください」と言われ、30分ほど待っていました。

ガン決定までの期間は6日間でしたが、2回しか会っていない患者に医師は「自分の家族だったらこの病院は勧めないな。」と言ってくれた言葉が唯一の救いでした。

その医師の言葉で、遠いけどガン治療で有名な病院(大阪府立成人病センター)に通う気になりました。

………………この記事はここまで

この記事の続きは

「乳がん体験記 佐藤さん編②乳がん検査(穿刺吸引細胞診検査)と告知」

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